


前年の暮れから流行し出したコロナウイルスによるインフルエンザは、一年程
で世界中に広がり、十月の末には全世界で四千万人が罹患し死者も百十万人を越
えた。この流行を押さえる為不要不急の外出を控え、自粛生活が余儀なくされた。
多くの商店は休業に追いやられ倒産する会社も出てきた。
貞夫の勤める旅行会社もキャンセルが相次ぎ予定されていたツアーも中止にな
り、二ヶ月前からテレワークに切り替わった。始めの一月は通勤時間がないだけ
楽な気がし、これまで気づかなかったアイディアで新しいツアーが浮かんだり、
案内のキャッチコピーを考えたりした。だがコロナ騒動真っ只中で旅行の案内は
あまりにも似つかわしくない。そう思うとパソコンの前に座っているのも虚しく
なり、やがて何かにつけていらいらするようになってきた。
そんなある日、学生時代趣味にしていたプラモデルの組み立てを久しぶりに手
がけることにした。ところが作業場代わりにしていた奥の部屋は物置代わりにな
っている。段ボール箱が詰め込まれていて足の踏み場もない。常々妻も片付けた
いと言っていたのを思い出し、妻と二人で片付けることにした。
壊れ掛けたカラーボックスが四つ程出てきた。ボックスを解体しゴミ袋に詰め
込んでいると、妻は、
「これはいらないわよね」
「こんな物何にするのかしら」
「これも捨てていいわね」
自分の勝手な判断で次々に部屋の外に投げ出した。だが、それらは未完成のプラ
モデルであったり、学生時代の思い出の品だったりだ。
「これはいるんだよ」
「それはこれから組み立てるんだ」
貞夫は投げ出された物を一つずつ吟味するとまた物置の棚に戻すのだが、妻はお
構いなく放り投げてくる。思い出が次々に捨てられていくように思えたが、貞夫
は黙ってダンボールに詰め込んだ。だがあまりにも妻が多くの物を捨てるので、
とうとう癇癪(かんしゃく)を起こし、
「みんな捨てたらいいんだろ」
そう言い捨てると段ボール箱を三つほど外に放り出した。すると、
「それは私が小学生の時買って貰ったピアニカよ。そっちの箱には結婚式の時に
来たウエディングドレスが入ってるのよ」
そう言って妻は憤慨したように言った。
「俺の思い出はいらないのに、自分の思い出は大事なのか」
貞夫は不愉快に思い怒鳴るように言った。
「プラモデルなんて子供のおもちゃじゃないの」妻の言葉に、
「ピアニカなんかもう吹かないだろ。それに二十年も昔のドレスなんかどうする
んだ。また着る気なのか」つい口を荒げた。
「そうよ。再婚する時に使うのよ」
冗談のつもりで言った言葉が妙に真実みを帯びていた。
「いいわよ全部捨てればいいんだわ」
「ああ、捨てろ捨てろ」
貞夫は腹立ち紛れに奧の棚にあったプラモデルや飾りケースを思い切ってゴミ袋
にたたき込んだ。すると妻も、
「私のも捨てればいいんでしょ」
そう言って妻が昔趣味で作っていたパッチワークの壁掛けをゴミ袋に入れた。棚
の奧から小箱が出てきた。それは大学生になった息子が幼稚園の頃に描いた絵や
工作物だった。そこへ息子がやってきて言った。
「何を騒いでるのさ。二人で相手の思い出にけちを付け合うのは止めなよ。自粛
自粛でいらいらするのは解るけど、みっともないじゃん。その箱の物は俺の子供
の頃の物でしょ。そんなの捨てていいから」すると、
「これはお前の思い出というより親の思い出だ」
貞夫の言葉に妻も、
「そうよ。お母さんとお父さんの共通の思い出なんだから」
すると息子は言った。
「共通の思い出ならいいのか。それならその人を作った思い出も大事にして、自
分の思い出にすればいいじゃないかなあ」
呟(つぶや)くように言った。数分無言の時間が過ぎた。
「これ、まだ取っておくか」
貞夫はドレスの入った箱を棚に戻した。妻もプラモデルの箱を黙って棚に戻した。
「おやおや、俺のワクチンが効いたのかな。コロナのワクチンも早く欲しいなあ。
休校も飽きたし」
そんな事を呟きながら息子は部屋に戻って行った。
