


地獄は調度、昼の休憩時間でありました。
閻魔(えんま)さま様が喫煙室におりますと、牛頭(ごず)と馬頭(めず)が入ってきま
した。
「地獄にまで嫌煙運動が広がり、いやな時代ですねえ閻魔様。何とかなりませんでしょうか」
牛頭が言いました。閻魔様はちょっといやな顔をなさり、
「それより、昨日送られてきた犬の報告書は」
とお聞きになりました。
「はい、休憩したら執務室にお届けしようと」
差し出された調書を受け取りながら、
「前世は人間であったが、上司に媚(こび)を売る卑(いや)しい奴であったから犬にし
たが少しは懲(こ)りただろう。深く反省していることだろうな」
そう言って犬からの報告書を開きました。そこにはこう記してありました。
『犬であった十六年間は実に楽しい年月だった。時折人間に怒鳴られたが、それは人間特有
のストレスからくる病気であり、怒鳴り声くらい出させてやらなければ、人間が気の毒だか
ら我慢した。我々犬は人間の心のケアーを誇(ほこ)りとして生きてきた。食事は日に二度
用意され、体の調子が悪い時は犬猫病院で手当をされた。何よりも春になると毎年血統書付
きの嫁があてがわれる。あれが極楽でなくてなんであろうか。叶(かな)うことなら閻魔様
には、また犬にしてくださるようお願いいたしたい次第である』
これを読んだ閻魔様の顔は見る見る真っ赤になりました。
「そう言えば前にも今のようなことを言い、猫にされて下界に放り出された者があったな。
あいつも一昨日(おととい)帰ってきただろう」
「はい報告書もここにございます」
馬頭の手から書類をひったくるようにして閻魔様は読みました。
『猫ほど自由で楽しい生き物はない。猫かわいがり、という言葉ができるほど人間たちは猫
を溺愛(できあい)するのだ。人間は自分に家がなくて間借りをしても、猫には専用の家を
作ってくれる。春にはぷいと家を飛び出し、良家の猫だろうが野良だろうが手当たり次第に
恋をし、春の短い夜を満喫(まんきつ)する。閻魔様にお願いしたい。次回も猫であります
ように』
閻魔様はいきなり調書を破り捨てました。
「ゆるせん奴らだ。それではあの豚はどうした。豚こそ生き地獄に苦しんだろう」
閻魔様の不機嫌な顔をのぞ覗き込むように、
「それがけしからん事に豚までがグルメ天国であったと申しまして。再び豚になるための
嘆願書(たんがんしよ)が出ておりまして」
牛頭が恐る恐る言いました。赤い顔に湯気を立てながら閻魔様は息を荒立て初めました。
「閻魔様こ奴らは本当は人間になりたいに決まっています。そんな気持ちを露骨にしますと、
はしたないと思われますからわざと反対の事を申しているに違いありません」
馬頭がなだめるように言いました。
ちょうどその時休憩時間終了の鐘の音が、針の山の向こうから聞こえてきました。
「午後からは先週人間を終わって帰ってきた者と面接をする。すぐに連れてまいれ」
馬頭はほっとしたような顔をしました。人間はおそらく閻魔様に感謝するはずでしょう。
閻魔様のご機嫌もそれで直ると思ったのでした。
「人間の霊を連れてまいりました」
牛頭が閻魔しつ執む務しつ室の外で叫びました。
「通せ」閻魔様の声で人間の霊がうやうや恭しく進み出ました。
「下界はどうだった」
閻魔様がお聞きになりますと人間は黙って頭を下げました。
「人間界は楽しかっただろ」
念を押されました。ですが霊は何を聞いても返事はなく、閻魔様もいらいらし始めました。
「人間にしてやった礼はどうした。返事がなければ二度と人間にはしてやらぬぞ」
閻魔様は声を荒立てました。するとようやく顔を上げ、
「ありがとうございます。今の人間界は好きな女に求婚すればセクハラだと言われ、煙草
飲みは罪人のように隅に追いやられ、男女平等はお題目だけで、女は女の弱さを武器にし
ながら男以上の暴言(ぼうげん)を吐きます。亭主は定年を迎えると熟年離婚と称して追
い払われます。二度と人間は・・」
その言葉に閻魔様は笏(しゃく)を落とすほど驚きました。そしてゆっくりうなづきな
がら、
「よく耐えたのう。次は猫がいいか、それとも犬か」寂しげに聞いたのでした。
