ジーパンのポケット

高安義郎


    電車通の誠一は登校のため駅に急いだ。夕べ夜更かしたせいか朝から腹の具合

  がよくない。駅に着いたとたんトイレに駆け込んだ。次の電車に乗ればまだ間に

  あうはずだったが、意外にも次の電車に乗り遅れてしまった。二本遅れの電車に

  乗ったが、これでは遅刻しかねない。そう思ったとたん嫌な奴の顔が頭に浮かんだ。

  生徒指導部の玉井教諭の顔だ。

  「遅い。たるんでいる証拠だ。ゲームでもしてて夜更かししたんだろ」

  そう言ってねちねちといたぶるのだ。

  「いえ、腹が痛かったたので」

  事実を言えば言ったで、

  「不摂生しているからだ。自分の体調管理くらいしろ」

  と説教される。そんな想像している内にうとうとしてしまった。気がつくと下車

  駅を幾つか通り過ぎていた。どうせ遅刻するなら玉井がいなくなる頃に登校しよ

  うと考え、もう一度居眠りをした。

   目覚めたのは終点の駅だった。そう言えば玉井教諭の住所が確かこの辺りだっ

  たと、そんなことを思い出しながら時刻表を見ると、上りは一時間後と書いてあ

  った。
   乗り越しを精算する金はあるのか一瞬どきりとしたが、ジャージ代として母か

  ら五千円貰っていたのを思い出した。

   駅を出るとそこは静で人通りも少ない。近くに小さな公園があった。時間潰し

  にふらふらと町中を歩いた。

   しばらく行くと、『玉井古着店』と書いた看板が目に入った。あの嫌み教諭と

  同じ名前だ。この町は玉井という苗字が多いのだろうか。そんな事を考えながら

  古着店の中を覗くと、そこには気のよさそうな親父さんがレジの前で新聞を読ん

  でいた。誠一が覗いているのを見ると。

  「そこの少年。今日は休みかね」

  気さくに声を掛けてきた。スポーツ大会の代休で、と出任せを言い、並べられて

  いる洋服やティシャツを眺めた。

  「少年。君が卒業して制服がいらなくなったら買うよ」

  そんな事を言った。仕入れの手間を惜しむ面倒くさがりの人らしかった。ふと制

  服でいるのはまずいなと思いシャツとジーパンを物色した。

  「このジーパンいくらですか」

  ジーパンの中には何十万もするビンテージ物があるという。ところが、

  「そこのコーナーは全部千円」と言った。

   誠一は履き古したようなジーパンとTシャツを買い、途中で見た公園のトイレ

  で着替えた。意外にはきやすかった。制服を鞄に押し込み何気なくポケットに手

  を突っ込むと何やら分厚い物に触れた。見るとそれは何と給料袋だった。急いで

  中身を確かめると一万円札が二十数枚入っている。明細まであった。広げてみる

  と誠一ががく愕ぜん然とした。それは何とあの嫌みな玉井教諭の給与袋だったのだ。

   あの古着屋は玉井の家だったのだ。

   そう言えば昨日は二十一日で教員の給料日だ。独り者の玉井は給料袋を無造作

  にポケットに突っ込み、今朝だらしなくそのまま脱ぎ捨てて来たのだろう。親父

  さんが、店の商品と思い込み店に並べたに違いない。

   警察に届けようか古着屋に返そうか。どちらにしても学校を休んだ説明が面倒だ。

  名前が出れば玉井教諭に詳しく説明しなければならない。いっそ今一番欲しいパ

  ソコンを買ってしまおうかとも思った。だがそれは出来ない。誠一の誠の字は正

  しい心という意味だ、といつか父に言われたことが頭をよぎった。

   その日誠一は映画を見て夕方家に帰った。

   翌日早めに学校へ行き、事務室脇にある中庭の植え込みの中に、給料袋をそっ

  と置いた。玉井も事務官も誰も居ない。グランドには朝練の生徒が足慣らしをし

  ているだけだ。

   誠一は二階の窓から植え込みを見つめていた。

   やがて教員や事務官が出勤して来て生徒も登校し始めた。そこへ箒を持って用

  務員が現れた。植え込みの中に箒を入れた時、何やら拾い上げた。それが給料袋

  だと知ると、用務員は事務室に駆け込んだ

   玉井が校門に出てきて生徒指導を始めた。

  「遅れるな。だらしない格好をするな」

  怒鳴る声が聞こえる。

  俺に助けられたことも知らず、いい気なものだ。そう思うと誠一は玉井が可愛い

  人に思えてくるのだった。




            
            
                        





       

  

 我が家の庭の隅に小鳥のえさ代を作った。1メートル程の長さの孟宗竹の上に、

四角いお盆程度の板を載せて打ち付けただけの物だが、小さな庭の隅に立てたの

だった。小さいながら我が家の庭には梅の木やハナミズキや楓の木が茂り、ちょ

っとした林のテイを醸し出している。枝の隙間を縫って、えさ代は廊下からよく

見えるようにした。

 始めは古米を載せてみた。それまでは餌のえの字もなかった所なのに、しかも

木の葉が覆っている中を、雀たちはどうして見つけられるのか。設置したその日

からやって来て、一握りの古米は瞬く間に食べ尽くした。

 一週間もすると古米がなくなったので、人間が食べ残したご飯を置いてみた。

これも彼等はご馳走だとばかり舞い降りてきた。

 最近は廊下に茶を運び、夫婦で庭をながめる習慣ができ、その時に米粒やご飯

の残りを置くことにした。「雀たちはどうして食べ物とわかるのだろうな」など

と不思議に思いながら、毎日廊下で茶を飲むのが最近の我々夫婦の習慣になりつ

つある。スズメよいつまでも食べに来い。(2021518