


三日間降り続いた雨もようやく上がり、道路の冠水もひ退いた夕暮れ時、出張帰りの達也
が乗ったバスは長い隧道(ずいどう)にさしかかった。
もうじき我が家だ。そう思うと気がゆるみ、ついうとうとしだした。
その時だった。バスが何かに激突したような衝撃がはしり、車内は真っ暗になった。何が起
こったのだろう。闇の中で考えた。
達也は運転手の後ろ座席に座っていたはずだが、足下で運転手の声がした。
「トンネルが崩れた。バスが埋まった」
血を吹き出すような咳をし、運転手はそれっきり何も言わなくなった。達也はフロント前に
飛ばされていたのだ。胸に激痛が走った。
「運転手さん。大丈夫ですか」
達也の声もかすれていた。バスの中は痛みを訴える声でどよめき出した。
「どうしたのよ。誰か何とかして」
「真っ暗で何も見えない。電気をつけて」初老の女性の声がした。
その時喉(のど)の引き裂けるような声で赤子が泣きだした。
「誰かこの子を」母親の悲痛な声がした。やがて赤子の泣き声は口でもふさ塞がれたかのよ
うに止んだ。母親が意識を失い赤子に覆(おお)い被(かぶさ)ってしまったのかも知れない。
「運転手さん。しっかりして。どうすればいいですか」
達也は胸の痛みをこらえ力一杯叫んだ。何の返事もない。気を失ってしまったのだと達也は
思った。
「足の骨が。助けて誰か。救急車を呼んで」
「運転手さん何とかしなさいよ」
責める口調だ。こんな時誰を責めようというのだ。達也はいらついた。土砂崩れの下敷きに
なったことを話そうとしたが胸が苦しく、達也はそのまま気を失ってしまった。
どのくらいたったろう。達也は暗闇の中で気がついた。事故を思い出すと胸の辺りをさす
った。焼け火箸を押しつけられたように痛む。車内は真っ暗闇で静かだった。何とかここか
ら抜け出さねばと達也は思った。ライターを持っていたことを思い出し火をつけた。辺りを
見回して愕然(がくぜん)とした。壊れた窓からなだれ込む土砂が後部の座席を埋めつくし、
すぐ後ろまで迫っていたのだ。先程叫んでいた人はもう何も言わない。生き埋めになったに
違いなかった。突然人の声がした。
「大丈夫でしたか。無事なのは我々三人だけのようですね」
びっくりしたのと手元のライターの熱さに耐えられず思わず火を消した。
「蝋燭(ろうそく)があるんです。孫の結婚式の帰りなもので」
と、その人は手探りで達也からライターを借り火をつけた。土砂は壊れた窓から絶え間なく
流れ込んで来るのが見えた。
蝋燭の明かりを持つのは老人だった。老人の座席も間もなく埋まると達也は思った。
「もう一人誰か無事なんですか。知り合いですか」
聞く達也に老人はゆう悠ちよう長に答えた。
「家内です。家内は二十年前に娘に死なれて、代わりに今日まで孫を育てたんですが二年前
から痴呆(ちほう)になっちまって」
老人の居る座席のむこうにうずくまる老婆が見えた。老人は続けた。
「これで私と家内の仕事は終わりました」
その時蝋燭(ろうそく)の火が微(かすか)かに揺れた。
「風が来るようですね」
達也は辺りを見回した。土砂は絶え間なく流れ落ち達也と老人の間を埋めていく。その時網
目状に割れたフロントガラスにサーチライトらしい光がも漏れてきた。救助隊が助けに来た
のだ。トンネルのわき腹に開いた穴からロープが下りてきた。
「助かりましたよおじいさん。そちらにもロープが来たでしょ」
達也は老人をせきたてフロントガラスを蹴破った。老人達は動こうとしなかった。土砂が二
人のひざ頭を隠し始めた。
「早く、体にロープを巻いて」
声を荒だてても老人は動こうとさえしない。
「私はそちらには行けないですから」
達也は叫んだ。
「いい結婚式だったなあ、おばあさん。これで全部終わったよ。奇麗になったあの子が見ら
れてよかった。もうゆっくり休もうな」
老人はつぶやいて蝋燭の炎を見つめていた。達也はロープを体に巻つけると、
「先に行きますよ。早くしてください」
叫んで上に合図をした。胸に激痛が走った。見下ろすと暗い中で揺れていた蝋燭の炎が一瞬
輝いて闇に消えた。