「おなかの子の保護の為に国外に身を隠します。運絡は取るわ。それでは後を
よろしく」
「それがいいマリア。気をつけて。他の事は私に任せなさい」
弁護士は車まで付添いマリアを送り出した。空港へ向かう車の中でマリアは二年
前のパーティを思い起こした。
クルトの家で開かれたそのパーティはクルトの誕生日と妻アリスとの結婚記念を
祝うものだった。クルトはコンピュータソフトの開発で大会社を設立した青年実
業家だった。広い庭にしつらえた会場には各界の重鎮が招待され、マリアもその
招待客の一人だった。
マリアは体外受精の研究者として高い評価を得ている才媛だったが、医学を商
品化しようとする病院の方針に反対した為、小さな研究所に追いやられた形にな
っていた。
「マリアよく来てくれたね。きみに来てもらったのは他でもない。頼みごとがあ
るんだ」
「カレッジの先輩の仰せですものね」
「話は明日にする。今日はゆっくり楽しんでくれ。知っていたかな、妻のアリス
だ」
妻を紹介するとクルトは忙しそうに来客をもてなして回った。クルトは次期の知
事選に立候補する野心を持ち、各ポランティア団体の長を招待しては大口の寄付を
自ら申し出たりした。
翌日マリアが庭に出ると、夕ぺあれほどの人で賑わったとは恩えない程静かだ
った。
「落ち着いたようね。私も早く帰らなくちゃならないの。話というのを聞きたい
わ」
マリアが言った。クルトはアリスの肩を抱きながら話した。それは意外な申
し出だった。
「マリア、きみの頭脳と技術、そして信頼を二億円で買いたい」
持っていたカップを落とさんばかりに驚いたマリアは訳を聞いた。クルトの話は
委託出産の依頼だった。財力にものを言わせ、やがては国を左右する地位に昇り
つめる大いなる野望を語った。そのためには忙しく動き回らなけれぱならない。
また英気を養うためには妻と二人きりの旅行も楽しみたいし、子供も欲しい。だ
が今は出産や育児にかかわっている時間がないと言った。
「クルトと二人で考えたの。今の私達から卵子と精子を採取して、適当な頃代理
母に出産してもらえばいいってね」アリスが言った。
「体外受精は病弱の人達の為の技術だわ。金持ちの我がままを満足させる為のも
のじゃないのよ」
マリアは憤概したように言った。
「我がままで言っているんじゃない。我が国を経済大国として再建させるために
は私が必要なんだ。私もアリスもその為にすぺてを捧げるんだ。委託出産は祖国
の為に必要なんだ」
「国の為ですって?自家用ジェット機があると言ってたわね。遊び回りたいだけで
しょ」
「いや違う。まあ良く聞いてくれ。きみの才能を設備のない小さな所で埋もれさ
せたくはない。研究費はいくらでも出そう。これは医学への貢献でもあるわけだ。
私たちは実験台だと思ってくれれぱいい。ただクルトの名前は伏せてほしいがね」
クルトの執拗な説得が続いた。やがて二億円の謝礼と研究費の援助の魅力、そし
てクルトの熱弁に負けマリアは二人の野望に手を貸す約束をしたのだった。
半年後、特設冷凍庫にクルト夫妻の卵子と精子が冷凍された。三人だけの秘密
だった。翌年クルトは州知事に当選した。だが当選間もなくのことである。クル
トの自家用ジェツト機がアリスとクルトを乗せたまま墜落し二人が急逝したのだ。
新知事の死は重大ニュースとして報道された。これを知ったマリアはクルトたち
の子を作ろうとした。だが代理の女性が見つからない。ふとマリアの脳裏にある
野望が浮かぴ上がづた。クルトの精子で自分がクルトの子を産んだならばどうな
るのだろう。クルトの子であることは遺伝子判定で証明できる。クルトの子なら
ば莫大な遺産の相続権があるだろう。そして白分はその母親だ。マリアはためら
いもなくクルトの子を妊娠し、弁護士に全遺産を凍結させた。大いなる野望とク
ルトの子種をその体内に隠し、マリアは今日、機上の人となったのだった。


