高安義郎
私はどうして
わたしを意識できているのか
私は真にわたし本人なのだろうか
元はといえば
無数の細胞分裂の末に生まれた
たった一つの受精卵だった
第一卵割(らんかつ)で分かれた割球(かっきゅう)の内の一つが
どうやら私になったらしいが
別の割球が残ったのなら
私は永劫
この世に現れることはなかった
けれど私は
確かにここで ここに生き
こうして時の
風を感じられている
ならば私が
わたし自身になったのは
海水の一掬(ひとすく)いの中に
小蟹がなくした目の玉を
探すよりも希有(きゆう)の存在ということか
果てしない想像数を超えて今
どうして私がわたしになったか
それが不思議でならないでいる