


良太の大学へ行く途中には壊れかけた塀がある。
ある日良太と美佐が連れ立って登校し、その危険な塀の側に来ると初老の男性
がペンキを塗っていた。良太は言った。
「塀にペンキを塗っても、塀の危険性は変わらないでしょ」
すると男は手を止め、
「塀を直す金も時間もないから。取りあえず見た目だけをね」と言った。
良太は無意味な作業に思えた。
校門の脇に小さな台を置いて焼き菓子を売る女性がいた。
台の脇には『支援バザー』と書いたフラッグがあった。
「あれは何の支援だろ」
良太が言うと、
「知らなかったの?大学の裏の方に支援者施設があって、そこの入所者が
作っているお菓子やパンを売っているのよ。大学が校門の前で販売するの
を許可しているんだって」
「支援?何の支援だい」
「知らないの?昔障害者福祉施設って言ってたけど、今は支援施設って名
前を変わたのよ」
「ああ、障害者福祉施設なら知ってるけど、なんで名前を変えたんだ。そう
いえば養護学校という名前も最近聞かないね」
「そう。養護学校も特別支援学校って言うようになったのよ。じゃまた明日」
里沙は軽く手を振って校門をくぐっていった。
その日の夜、床につくと間もなく、これまでに何度も夢の中で会っている
神様が現れた。
「おや、また考え事をしてるね。下手の考え安眠妨害って言うぜ」
神様はからかうように言った。
「分かっているけど、どうして支援施設って名前になったのかなあって思ってさ」
「ああ、それね。俺支援団体の人達の会議を覗いたことがあるから知ってるよ」
「じゃあ教えてよ」
「でもね俺にもよく理解できないんだ」
「名前を変えた理由がかい?その人達、何て言ってたの?」
「障害という言葉がね、差し障りがあって害があるという言葉だから差別的だって
言ってた。体に不都合のある人は支援を受けてしかるべきだから要支援者と呼ぶべ
きだって言うんだ」
「そうすると何か変わるの?」
何が変わるのか俺には分からない。
養護学校という名のどこがいけないんだろうな。
こんなことを言ってた人がいたよ。養護学校へ通っていると言うと障害者なんだ
と言われるからって言うんだ。
でもね、支援学校って名前に変えても、やっぱり障害者の学校だと、みんな知るだ
ろうから同じじゃないかなあ」
「障害者だって事は隠さなくちゃいけないことなの?」
「隠す必要など全然ないさ」
「そうだよね。私は手が不自由ですって言えば周りの人は『じゃ私がやりますよ』
って手を貸すだろうし」
「三重苦のヘレンケラーの言葉知っているかい」
「どんな?」
「『障害があると言うことは不便な事はある。だからといって不幸なのではない』っ
て言ったのさ」
「ヘレンケラーは要支援者とは言ってないんだね」
「言ってないよ。自分の生活に支障があるから障害者と言ってどこがいけないんだ
い?」
「どこが差別なのか分かんないや」
「障害があったって人間としての人格に問題があるわけじゃないし」
「そうだよね。私は目が見えないので字が読めませんて言われたら、じゃ私が代わ
りに読みますよって言えばそれでいいんじゃないのかな」
「そう。わざわざ私は視覚要支援者です、なんて言わなくたっていいよね」
「無論人間の中には、何だ見えねえのか、なんていう非人間的な人もいなくはないけ
どさ、そんな人は障害者と言っても要支援者と言っても、変わらないだろうよ。呼び
名の変更は見た目を変えただけの世界でしかないのさ」
「見た目と言えば、僕の学校に行く途中に壊れかかった塀があってね、見た目だけ
をよくしようとしてペンキを塗ってた人がいたよ。危険その物を直さなくちゃ意
味ないのにさ」
「養護学校を支援学校という名に変えたのは、いわば上辺のペンキだね」
「ハンディのある人もない人も同じように共栄共存できる社会になるように教育す
るのが優先事項だろうけどね」
「まったくだ。初めて良太と意見が一致したね」
そう言うと神様は夢の中から消えていったのだった。
秋も深まり、我が家の借景になっている小さな公園の銀杏も黄色くなった
葉を落としきった。『銀杏の木が箒になった』と表現したのは高村光太郎だ
ったろうか。この箒の銀杏を見ながら私はふと変なことを考えた。果たして
木の葉は何枚落としたのだろうかと。何百万枚かは分からないが、どの葉も
皆立派な形と色を備えている。日本人も毎年百万人単位で誕生しているが、
果たしてこの銀杏のように皆同じように成長し色づくのはどれだけいるのだ
ろう。落ちこぼれやふてくされて犯罪を犯しあるいは暴走の果てに障害を持
つに至ったりして、紅葉を全うできる人間はどれほどいるのだろう。あるい
は戦争という愚行で命を落とす葉も数知れない。そんな事を考えると、愚痴
も言わない自然に頭が下がる思いがする。 (2022・11・30)