出世双六

高安義郎



  「よう久しぶり」「おお、中台じゃないか」

 和也は中台を迎え入れた。

 「あの時もこんなアパートだったなあ」

 中台の言葉に、二人は二十年前のことを思い出した。それは大学四年の年の暮

 れのことであった。気のあった仲間の大沢と前川と中台の四人が和也のアパー

 トに集まり、やっと就職の決まった和也の為に乾杯をしてくれたのだ。飲みな

 がら大澤は『サラリーマン出世双六』を持ち出した。

 『おれたちの将来を占おうぜ』大澤が言うと

 『こんな簡単に出世できたら人生に落伍者などいないさ』

 と皆は馬鹿にしながらも、酎ハイなどを飲みながらサイコロを振った。やがて

 四人は次第にゲームに熱が入りだした。和也は面白いように出世していく自分

 の駒に不思議なものを感じた。

 『本当にこれは自分の将来を暗示しているのかも知れない』

 和也は内心そう思いだした。手帳を取り出すと自分の駒の出世をメモし始めた。

 和也がそう思ったのも無理はなかった。自分が受けた入社試験の数とゲームの

 中で和也の駒が受けた受験数が同じであったし、ゲームの中で入社した会社も

 実際に合格した会社も、名前こそ違え同じような商社だったのだ。

  『入社一年目』と和也はメモをした。一年目にして思わぬ所から得た情報で

 会社の窮地を救い、功労者として多額のボーナスをもらい、二年目には思いつ

 きで話したアイディアが採用された。三年目にはそのアイディアからその部署

 の責任者に抜擢され、四年目には同期の誰よりも早く係長に昇進した。五年目

 にたまたま取引先で知り合った女性と三十歳の時に結婚。その女性はさるクレ

 ジット会社の社長令嬢であった。ゲームの中で和也の駒はトントン拍子に出世

 し、家庭では二人の息子に恵まれて、四十歳の声を聞く頃には、義父の会社の

 社長になった。長男は高校球児として甲子園に行き、プロ野球団から声も掛か

 り、次男は東大に入学し宇宙物理学の博士課程に進んだ。社員二十名ほどだっ

 た義父の会社は、いつの間にか従業員千人を超す大会社にのし上がり、一部上

 場の有名企業になっていた。妻は暇に飽かして翻訳したフランス文学がベスト

 セラーになった。会社を次男に相続させ、六十歳の時多くの支持者を得て東京

 都知事に当選した。ゲームはそこで上がりだった。

  大沢の駒は証券会社をリストラされビルの掃除人になり、前川は政治家に送

 った賄賂が露見し、五年の刑を受けて五回の休みになっていた。欲のない中台

 はゲームの中でも欲がなく、いつまでたっても出世できず、妻のパート収入で

 どうにか子供を大学にやる町工場の社員のままであった。出るさいころの目は

 いつも一か二であった。だがこれといったアクシデントもなく、和也より一歩

 早く年金受け取りの上がりになった。次に和也が上がったところでゲームを辞

 めた。

 「のんきな俺にぴったりだなあ」

 そう言って笑う中台の言葉に、大沢は

 「こりゃあゲームだよ。気にすんな」と慰めた。

 だが和也は『これは自分の人生の暗示だ』と密かに思いほくそ笑んだ。

 「あれから三十五年も経ったのか」和也は呟いた。

  和也の人生はメモ帳に記したゲーム結果によく似ていた。同期の誰よりも早

 く係長になり、取引先の会社の社長に気に入られ、その娘を妻にした。義父の

 会社を継ぎ、二倍の大きさにしたことも似ていた。だが和也は一人、妻子と別

 れ安アパートの一室に暮らすようになっていた。壁紙のはがれかかった窓際に

 寄り、離婚届の用紙に目を落とした。そしてまた呟いた。

 「考えてみればあのゲーム『』で『幸福双六』じゃなかったよなあ」

 そう言って大きくため息をついた。

 「出世には幸せに繋がるものと、幸せとは無関係の二種類が有るとは思わなか

 ったよ。

 考えてみればつまらないゲームをしたもんだなあ」

 呟きながら離婚届の用紙に判を付いた。夏が終わろうとしていた。夏を惜しむ

 かのように鳴くヒグラシゼミの声が聞こえてきた。それでいて晴れ晴れとした

 ものを感じた。