高安義郎
我が家は四人家族であった。家族と言っても四人が四人とも血の繋がらない、
いわぱ他人の寄せ集めであった。二十五になる娘の佐和が『おかあさん』と呼ん
でいる女性は佐和が五歳の時に父が再婚した人でいわぱ継母である。佐和の父親
は佐和が七歳の時に死に、それ以来、この継母は佐和を我が子のように育ててき
たのだ。
この二人が我が家で暮らすようになったのは佐和が十五の時に遭遇した火事が
きっかけであった。佐和の隣家から出火した火は瞬く間に佐和の家を飲み込んだ
のだ。保険は下りたものの土地はもともと借地だったこともあり、とりあえずア
パートを探すことになった。そんな折り、佐和の継母のパート先で一緒だった八
重子が、手頃なアパートが見つかるまでということで二人を連れてきたのだった。
八重子は私の内縁の妻である。八重子とは十八年前から何となく一緒に暮らす
ようになったのだ。
「風来坊だからいなくなるかもよ」
彼女のそんな冗談のせいでもないが、つい籍を入れずじまいだった。子供でもで
きたらと思っては いたが、私たちには子宝は恵まれなかった。二人はいつまで
も恋人のような感覚で彼女を「やえちゃん」と呼び彼女も私を「ノブさん」と呼
んだ。
そんなところに二人が来たのだ。殺風景な家の中が急に明るくなり、元々大家
族で育った私は本当の家族になったように思えて楽しかった。佐和は利口な子で
あった。大人の中で自分が唯一子供であることを十分承知しており、甘えどころ
を心得ていた。三人の大人は佐和をそれぞれ自分の子のように思い始めていた。
やがて佐和を中心に家の中が回転し始め、佐和が「おかあさん」と呼ぷ継母を皆
が「おかあさん」と呼ぷようになっていた。佐和が短大を卒業しても佐和達はま
だ我が家にいた。
その間手頃なアパートは何度も見つかったが、学費が大変だろう、勤め先が遠
いだろうと理由を付け、家にとどめてきたのだった。今では四人が暮らすことが
、
傍目にはどう写っているのか分からないが、私たちにはごく自然なものになって
いた。そんなある日、佐和がこんなことを言い出した。
「私おじさんのことをお父さんて呼んでいいかな。」
私はなんと答えて良いか狼狽の体であった。それを見かねたのか八重子が
「そうね、いいんじやないの。男はノブさんだけだし、佐和ちゃんが結婚する時
だって『お父さん』て呼んでた方が体裁もいいもの。ノブさんだってその方が本
当はうれしいんでしょ。」
八重子の言うとおりだった。それからしばらくはぎこちない日々が続いたが、
半月も経つとすっかりその呼び名にも慣れた。家の外装工事に来た職人が私と佐
和の継母を夫婦と思い込んでいた。佐和の会社の同僚が遊びに来て
「お父さんも一緒に飲みませんか」
そう言って誘われた時も、何の違和感もなく受け止められたものだった。
「お母さん、お父さん、これ見てみて。これが今度の行員の制服なのよ。」
そんな会話は私にはたまらなく嬉しかった。
そんなある日だった。寝しなに八重子がぽつりと言ったのだ。
「私、宛名のない手紙みたい」どんな意味か分からなかった。
「どういうことだい」と聞くと
「私最近誰に話をしていいか分からなくなったの。籍が入っていないからかなあ」
それを聞いて私はどきりとした。それはまさしく私が父親役に有頂天になっている
事のひずみであった。
しかし、佐和には父親役を止めるとは言えなかった。それに私がどんなに佐和
と彼女の継母から遠ざかろうとしても、屈託のない佐和は私を喜ぱせようとする
のか声をかけてくるのだ。継母は継母で私を粗末にできないという思いからか、
何かと気を遣い世話を焼こうとした。それから間もなくであった。八重子が
「昔の友達の所へ行きます。私は宛先のない手紙です。」
そう書き置きして出て行った。八重子の消息は手を尽くしたが未だに見つからな
いままである。そんなことがあって間もなく、佐和親子は隣町にアパートを見つ
けて引っ越して行った