


隆二は東京以外の町で暮らしたことがない。学校と学習塾を行き来し、都内の
大学に入学し、のんびりした日々を送っていた。
大学の授業は思っていたほど面白くもなく、カラオケやゲームセンターに行く
のも飽きていた。そんな折自然探索部に勧誘されたのだった。
手渡されたチラシを見ると、
「都会は人間の作ったまやかし物で充満している。今こそ自然の美しさを再認識
しよう」そんな文面が書かれていた。
自然とは何だろう。テレビや映画で見る谷川やジャングルのことだろうか。こ
の探索部では、自然をどうとらえているのだろうか。隆二は興味がわく部室を訪
ねた。
「きみ、クニはどこ?」
部室に入ると親しげに声を掛けてきたのは副部長の太田だった。
「東京です」
「なるほど、それで自然に憧れたって訳ね。大歓迎だよ。説明するから良かった
ら入部してよ」
太田は汚れたアルバムを取りだし、
「これは去年蓼科でキャンプした時のもの。これが八甲田へ行ったときの写真。
こっちが一昨年筑波山での合宿風景だ。みんな楽しそうだろ」自慢そうに話した。
「キャンプ地ではどんなことをするんですか」聞くと、
「野鳥の声を聞きながら写真を撮り歩く者もいるし、山菜を積んで食う奴もいる。
一日山の中をほっつき歩いているのもいるし、いろいろだよ」
太田の説明に隆二は都会では味わったことのない何かがありそうに思え、
「いいですねえ。僕の憧れだ」深い意味もなく答えた。すると、
「人間の先祖は自然の中で自然の恵みを受けて生きて来たんだ。我々のDNA に
は自然との共存体制がインプットされている。決して都会生活に会わせて作られ
てはいないんだ。人間が横着の為に作った文明は排気ガスで大気を汚し、川には
重金属が流れ出し、多くの自然動物を死に追いやった。それに引き替え山々の自
然の中にはマイナスイオンが充満し、新鮮な空気に満たされている。自然の素晴
らしさを呼び戻さなければ、人類は滅びの方向に向かうことになる」
太田は自分の言葉に酔ったようにまくしたてた。隆二も太田の意見に納得し、
今まで東京しか人の住処はないと思っていた自分を恥ずかしく思った。
「東京の塩素臭い水道水じゃなくて、自然の水はおいしいでしょうね」
隆二はボトル入りの自然水が、無料で大量に流れている谷川の光景を思い浮かべた。
「言うまでもないさ」太田は誇らしげに言った。
その日隆二は大学で知り合い親しくなった達夫に、一緒に自然探求部に入らな
いかと声をかけてみた。隆二は達夫に太田から聞いた話を受け売りした。達夫は
岩手県の山奥の出身だった。隆二の話を聞き終わると達夫は、
「それって、自然のことを何も分かってない人間の戯言だよ」こともなげに言った。
「自然の中で生きるってそんな生やさしいものじゃない。俺のお祖父さんは病院
がなかったために盲腸なんかで死んだし、ガスや水道もなくはないけど、山から
出る枯れ葉処理のために風呂は薪で炊くし、自然の水なんて谷川まで行かなきゃ
飲めないんだ。冬は雪に覆われて外には出られないし夏は蚊や毒蛾が家の中に入
り込むんだ。蛇がタンスの中でとぐろをまいていいることだって珍しくもないん
だぜ」隆二は背筋がゾッとした。
「少し大げさなんじゃないのかい?」聞くと、
「事実だよ。ただ傍目には四季折々の草木に囲まれて楽園に見えるのさ。たまに
来て自然に触れた気になるにはいい所さ」すると隆二は食い下がった。
「でも先輩は都会に喜びはないって言ってたぞ」すると達夫は、
「そう。それじゃ彼らが一度もカラオケやファミレスにも行ったことがないなら
その言い分を認めるけど」達夫は更に続けた。「自然は頑固で融通の利かないおや
じ、都会は放任主義の母親みたいなものだ。それを自覚していない人はうわべの
山に憧れたりするのさ」言い残して席を立った。
そんなことがあったが隆二は自然探索部に入部したのだった。三年経った今
も、自然の何たるかが隆二には言葉にできないでいるのだった。