わたしとは
来し方記憶の産物なのか
私の記憶は
確かに私一人のものだ
ならば記憶の何がわたしを作っているのか
相対性理論を唱えた某氏に習い
こんな思考実験はどうだろう
この肉体を分子原子の粒子に戻し
その配列をAIに記憶する
分解が終了したらそれらの粒子を
記憶どおりに組み上げ直せば
私は見事に甦るだろう
AIの記憶にしたがい
他の原子で組み上げたなら
同じ記憶のわたしが複数出現できよう
しかし彼等はわたしではない
彼等は彼等で
自分を唯一の自分だと
おそらく言い張ることだろう
ならばわたし自身とは
原子の集合を意味するものか
つまりは原子が
個を意識しているというのだろうか
聞けば体を構成している物質は
日々入れ替わっているという
しかし私のわたしは昨日のままでいる
やはり原子は
一つのブロック片にすぎないではないか
ならば配列そのものが
わたしを意識するのだろうか
もしそうならばゴミや芥を配列したら
わたしを意識できるのか
さすればやはり無数の私ができあがる
しかるに配列は意識ではない
いったい何が私を
わたしたらしめているのだろう
やはり私はわたし一人で
わたしを不思議に思うのだ
高安義郎