中学生になった翔太(しょうた)は仏教で言う悟りとか死ぬとかといったことに興味を

持ち始め、死ぬ日が分かったらどうなるのだろう。そんなことを考えるようになっていた。

 そんなある日、校外学習で農場を見学する機会があった。農場には豚が三十頭ほどおり、

産まれたばかりの子豚も十頭ほどいた。女子生徒達は子豚を見ると、

「可愛い」 「ペットにしたい」

などとはしゃいでいた。それを聞いた翔太は、その子が嘗(かって)トンカツが大好きだ

と言っていたのを思い出し、彼女の気持ちをどう理解すれば良いか分からなくなった。

 無心に餌(えさ)を食べている子豚を見ている内に翔太は、もしこの豚に人間のような

心があって、飼育されている訳を知ったらどうなるだろうと考えた。

 その夜翔太は床に入ってもなかなか寝付けなかった。丸い目をした子豚の顔が目の前に

浮かぶのだ。やがて、うとうとしだすと夢を見た。
 
 担任の京子先生にどことなく似た豚が、涙を流してバスに乗っているのだ。それに気づ

き翔太は、

「どうして泣いているの」と声をかけた。

「これが泣かずにいられますか?可愛い坊や達とひきさかれたのよ」と言う。

「子供達とわかれるのってやっぱりつらいんだね」

「当たり前よ。子供の行く末ほど心配なことはないわ」

「そうだね、立派に育つといいね」

「立派って何よ。人間に食われる為に大きくなれって事なの」

「そういう意味じゃ」

「それじゃなによ。私はこれから殺されるのよ」

「え?どうして」

「あの女子生徒があたしを食べる為よ」

「あの子があなたを食べる?ボクも肉は食べるけど、あれはスーパーで売ってる肉で」

「馬鹿ね。トンカツは私達を殺しては剥ぎ取った私たちの肉よ。まさか畑から肉を取って

来るとでも思っていたの」そう言われて翔太はどきりとした。すると豚は、

「これから死ぬってことが分かるのは辛い」

そう言ってさめざめと泣いた。

 しばらくすると窓の外に目をやった豚は急にいきり立った。

「馬鹿にするのもいい加減にしてよ。人間は最低の生き物だわ」

翔太は豚の見つめる方角に目をやった。すると道路脇にトンカツ屋があり、その店の屋根

には大きな看板があって、看板には

『おいしいよ。みんなおいでよ』

 と、まるまる太った豚がコック帽をかぶり、トンカツを乗せた皿をかか掲げていた。

「冗談じゃないわ。自分を食べてくれなんて言うわけないでしょ。豚の心を無視するにも程

がある。抗議してやる」

そう言ったかと思うと窓から道路に飛び出し、誰ぞに激しいけん剣まく幕で文句を言い出し

た。よく見ると文句の相手はどうも神様らしいのだ。

「人間と豚を入れ替えていただけませんか。今度は私たちが人間を飼育して、私たちにジン

カツを食べさせてくださいな」そんな声が聞こえた。

「手始めにバスの中にいるあの子から食べたい」そう言って翔太の方を指さした。翔太はど

きりとし、思わず自分の手を見た。すると指先が豚のヒヅメになっていくのだ。慌(あわ)

手を振り払うとどこからか子豚が飛びかかってきた。
 
 驚いて目を覚ますと、それは二年前から飼っている小犬のコロが、翔太のベッドに飛びつ

いたのだ。

「なんだコロか」翔太はコロを抱きかかえ、

「コロにも心があるのか」そう言った後で冗談交じりに、

「食べる物がなくなったらお前を食べていいか」

そんな事を言ってみた。コロは嬉しそうに尾を振った。

「そうだよな、やっぱり死ぬことなんか分からないよな」

その時部屋の隅で物音がした。コロはとっさに飛び退いてみがま身構えた。

「鞄が机から落ちただけだよ。おく臆びよう病だな」そう言ってコロを抱きしめた。

 その時思った。動物は目の前の異変に危険を感じて反応するが、それは死を意識したもの

ではない。動物は死を知らないし、生についても知らない。ただただ今という時間の中で空

腹を満たし、おだ穏やかであればそれだけで満足なのだ。人間もいたずら徒に死を考えず今

を楽しむことが、生きるということかも知れない。

 そう覚った翔太はその日をさかいに死について考えなくなっていた。



                   
悟りと死

高安義郎