高安義郎
迷ってばかりの僕でした
あなたの励ましに
半信半疑で坂道を歩き出せば
やはり獣道に迷い込んだものでした
するとどこからかあなたは現れ
襟(えり)を火の様な手で掴(つか)み
坂の入り囗に連れ戻すのでした
山スミレの記憶は鮮明に残っています
ワラビの束を掴んだ夕暮れも瞼にあります
それらがいつも
あなたの掌の上にあったのを知っていました
けれど僕はその手を振り切り
久しい時が経っていました
どこへとも行き先の決まらないままで
僕は半世紀を堂々巡りして生きてきました
結局ありふれた葛の花を踏みしだき
枯れ尾花の揺れる野原を横切りながら
あの時振り切った手に誇れるほどの
何物も持てないまま舞い戻って来たのです
ふと立ち止まると
あなたの病は意識を壊し始めていました
小さな施設の日溜まりの部屋に
座敷わらしのように座って
不思議そうな目をして僕を見上げます
妻の打つ手拍子で
あなたは蛍の唱歌を歌っていました
時間の止まった世界の中で
子供のむかしに還っただけだと
僕は自分に言い聞かせるのです
納得したつもりの目からは止めどなく
涙が溢(あふ)れ出て来るのでした
あの坂道は
ここへ来るためのものだったのでしょうか
辿(たど)りついたこの部屋のなんと明るく
なんと切ない静けさでしょう
蛍の歌を歌い終わると
母は両の手を挙げました
挙げた手を僕にさし延べ
泣くなと言うように僕の頭をなでるのでした
平成14年 3月末