プラタナス

高安義郎





 私の生まれ育った町の小さな駅から数キロメートルほど南に行った旧県道にプラタナスの

並木道があった。小学校への行き帰りは近所の幼なじみとその道を通ったものである。

 先日久しぶりに並木の近くを通ることがあった。なつ懐かしくなり立ち寄ったのだが、二

本の木を残すだけで並木の面影は枯れていた。歩みを止め、足下に落ちている葉の一枚を手

にした時あの思い出が蘇(よみがえ)

った。

 いつも一緒に学校へ行く仲間に朝男という同級生がいた。ある時朝男は、

「ここに落ちている葉の中で、これが一番でっかい葉っぱだ」

そう言って威張った。負けず嫌いの私は何とかそれを上回る大きさの葉を探そうとやっきに

なり、その日とうとう朝礼に遅刻したのだった。

 当時の学校は今の甘やかし放題の軟弱生徒育成機関のような学校とは違い、少しでも遅刻

するとゴツンと拳骨が飛んできた。拳骨をする先生を憎らしいと思わなくもなかったが、遠

くで笑っている朝男の方が数倍憎かった。その日の帰り私はとうとう朝男のよりも若干大き

な葉を見つけ大いに自慢した。すると、

「それは黄ばんでいてきたな汚い」

と朝男は言い張り、負けを認めなかった。やがて競争は葉の大きさではなく綺麗に色づいた

葉を自慢し始めるようになった。

 競争がエスカレートすると、自分の枝を勝手に決め、どちらの方が多くの葉を付けている

か競争をした。初めは適当に葉の数を言い張って競ったが、それでは勝敗は定かではない。

やがてその枝の葉を全部落として数えようということになった。奇妙な競争心は半ば喧嘩

のような勢いで枝によじ登り葉を落とし始めた。そこへ担任の教師が通りかかった。植物を

いじめ公共の場を汚したとしてひどく叱られ、挙げ句に落ちた葉を素手でか掻き集めさせら

れた。星が出始めた頃やっと開放されたものの、漢字書取をノートに十頁やってくるよう言

いつけられもした。

 家に帰ってそのことを言えば、親からは先生以上に叱られる。私は黙って夜中までかかり

十頁の宿題を終わらせたものだった。

 そんなことがきっかけで朝男との仲は悪くなった。彼とは絶交することにした。朝男を避

けていたせいか一ヶ月ほど朝男の顔を見ることがなかった。後で知ったのだが、実は朝男は

母親が病気になり、母親の病気が治るまで母方の祖母の家に預けられていたのだ。急なこと

で級友に挨拶もせず埼玉に行ったのだった。

 北風の吹き始めた寒い日曜日だった。朝男が私の家を尋ねてきたのだ。その時はすっかり

プラタナスの喧嘩は忘れており、居なくなった理由を私は根堀葉堀聞いた。

「母ちゃんが入院しても父ちゃんがいたろう」と聞くと、

「父ちゃんは東京で結婚している」と言った。

それがどういう意味なのか小学生の私には良く分からなかった。

「おばさん、病気直ったんか」聞くと、

「うん。だから母ちゃんも結婚するんだ」その返事に尚分からなくなった。

「父ちゃんも母ちゃんも結婚すんなら良かったんじゃねえか」

私は訳の分からないまま朝男の顔をのぞ覗き込んだ。朝男は悲しそうな顔をしていた。

「埼玉の学校へ通うから、もうこっちの学校には来れねえんだ」

そう言って今日は荷物を運びに来たのだとつけたした。

「プラタナスの所、行こうか」

朝男を誘った。急に朝男の顔は明るくなった。走るようにして並木道まで来ると二人は立ち

つくした。ほとんどの葉を落とし、細い枝が空に突き刺さるように広がっていた。枝の中途

には青く固そうな実がさがっていた。

「もう行かねえと。そんじゃあ」朝男は駆けて行った。

 それっきり朝男と顔を合わすことはなかった。絶交などしていなければ朝男の悩みを幾分

かでも理解できたのではないだろうか。何故か悔やまれた。

 あれから三十年の月日が流れた。ふと私は今の生活を思った。目先の消えてしまうような

ものに執着して争ううちに、育まねばならない大事なものをなくしてゆくようなぐ愚を、今

も続けているのではないか。そんなことを思いながらプラタナスの葉を一枚拾った。