私は、老いて足腰の弱った母を連れ、母の好きな盆栽の展覧会会場に出かけたのだった。
樹齢何百年ともつかぬ黒松やにれ楡ケヤキの古木に圧倒されながら会場を一巡りすると、
母は疲れたと言いコーナーの椅子に腰掛けた。少し離れた所に喫煙所があり、私はそこで
煙草に火を付けた。正直なところ私は盆栽には興味はなかった。だが上野のさる美術館で
開催されるこの盆栽展を一度見たいという母の願いを、親孝行のつもりで案内したのだ。
母は満足しているだろうかと思い振り返ると、なんと、そこに座っていたはずの母の姿が
なかった。私は辺りを見回したが、客の少ない会場には母らしい人の姿は見えず、盆栽だ
けが六義園(りくぎえん)の庭を思わせて広がっていた。こんな所で母を迷子にするわけ
にはいかない。私は煙草の火をもみ消し足早に出口に向かって歩き出した。
「もう行くのかい」
母はいきなりコーナーのソファーから声をかけてきた。今までそこには居なかったのに。
そう思ったがその時はたまたま死角に入って見えなかっただけだと私は思った。
だが昼食の時も駅の改札口でも、母は幾度か私の視界から一瞬消えてしまう現象に遭遇
したのだ。やがて私は自分の目に異常が生じたのかも知れないと思い始めた。
それを確かめるために、母のおぼつかない足を助けるような形で、母の服の袖を軽く握っ
て歩いた。
さほど待ち時間もなく帰りの特急に乗れた私は母を窓際に座らせ、旅気分を味わっても
ら貰おうと車内販売で、母の好物のピスタチオとお茶を買った。私は缶ビールを買った。
昼間、姿の消えたことなど忘れかけた頃だった。二本目のビールを開けようとした時母
の姿がまた消えたのだ。特急電車の窓は開かないはずだ。通路に出るには狭い私の前を越
えて行かねばならない。どこかへ行ったのなら私が気づかないはずがない。それでもと思
い立ち上がると、
「お前も食べるかい」
母はしわ皺だらけの細い指でピスタチオを差し出した。
「母さん、どこに行ってたの」
私は自分の目のせいであろうことを忘れ、攻めるような口調で言った。母は意に解する様
子もなく、
「お前が一年生になる年の春だったねえ。上野の動物園でバンビをもらってゆくんだと言
って泣いたっけ。ちょっと目を離したすきに虎の檻の前で手を入れようとしていて、あの
時は肝がつぶれたよ」
そう言って茶をすすった。それはこれまでに何度も聞かされた話であり、私自身うっすら
その光景は覚えている。
「腕白だったようだね。遅ればせながら今日は五十年前のお礼だよ」
小声で言うと母はまたこつ忽ぜん然と私の目の前で消えたのだ。
古電球が一瞬閃光(せんこう)を放って消えるように、母は消えてしまったのだ。
とうとう私の目は壊れてしまった。しかし母を何とか家に連れて帰らねばならない。そう
思い両手で頬を叩き、目をこすり、
「母さん大丈夫だからね。次に電車が止まったら降りるから」
見えないあせ焦りを気取られないよう冷静を装いながら、残ったビールを飲み干した。
すると母は次第に姿を現した。 駅に降り立つと、通り慣れた道のはずであるのに、
「この景色は見たことあるよ」そんな妙なことを言った。
我が家まで一キロメートル足らずの道のりを行く間に、母は何度も消え、消えては現れた。
そして古びた木製の門扉を開けた時、母の姿は完全に消えてしまった。大声で呼び手探り
をすれば母の暖かい体にどうにか触れた。陽が傾き、残照(ざんしょう)が母の庭の盆栽
に照り、力強い根張りのさつき皐『華宝(かほう)』の幹を虚しく照らしていた。
騒ぎを聞きつけて妻が出てきた。
「お婆ちゃんは?どこ?」妻が聞いた。妻にも母は見えなかったのだ。
「俺の目のせいじゃないんだ。消えちゃったんだよ」私の言葉を妻は信じなかった。
「私はここにいるじゃないか」どこからか声がし玄関先に座る母の姿が現れた。
その日を境に母は私達の目の前で現れては消え、消えては現れ、次第に消えている時間
を長くしていった。
母がグループホームに入所したのはそれから一年後のことであった。



