ミモザの夢

髙安義郎


 ある冬の終わり、咲き始めたミモザの花の一枝を取りに来た少女が、ハアー
と白い息をはきました。息はすぐ消えましたが、消えた息の仲間の一粒(ひと
つぶ)が元気よく飛び出してふわふわ漂(ただよ)い、少女の持つ黄色い花先
についていた水玉を見つけました。息の小粒には水玉が、なぜか仲間のような
気がして声をかけました。

「水玉のおじさんは僕の親類みたいだけど、誰なの」
すると水玉は言いました。
「君は知りたがり屋さんのようだね」
「はい。いろんなことを知って、僕はどんな役に立つのかを知りたいんです」
「それじゃ君にわしら水一族の仕事について見せてやろうか」
「一族なんかどうでもいいんです。僕一人の力でするのが夢なんです。僕は選
ばれたスーパーヒーローになりたいんだもの」
「まあいいさ。さあ、ついておいで」そう言って人の目には見えない息の粒(つ
ぶ)の手を取り、おじさんは花の先から飛び降りたのでした。
「ところで君は自分の名前を知らないんだろ。わしは『しずく』とかなんぞと
呼ばれているが、君はジューキと呼ばれてるんだよ。この際だから君のことを
ジョウと呼ぶことにしよう。さあジョウ、わしと一緒(いっしょ)に暖かい空
気の中に入ろう」
そう言ったかと思うとしずくのおじさんも蒸気の一粒になり、空中に溶け込み
ました。

 
 春のきざしを感ずるさわやかな風が吹いてきました。ジョウ達は風に乗って
ゆったりと流れてゆくと、小高い山が見えてきました。
「いいかいジョウ。次の風でわしたちはこの山をかけ上がるぞ。手を離すなよ」
その時強い風が吹き付けてきて、ジョウ達は勢いよく山をはい上がって行きま
した。するとおじさんの手が離れそうになりました。
「おじさん。どこかに行っちゃうの」
「いいや、ただ高い所に来ると空気はふくらむから、ちょっとあばれたくなる
のさ。ジョウだってそうだろ。でも少し寒くなったな」
ジョウ達を包んでいる空気は、山を登れば登るほど冷たくなっていったのです。
「いいかいジョウ。寒くなるとわしらは仲間とスクラムを組んで小さな水の粒
になる」
「僕は僕一人の力をためしたいんだってば」
「君はスター志望だったね。まあいい、仲間と手をつないでごらん」
そう言われてジョウはしかたなく近くの小粒達とくっつき合って、小さな小さ
な、でもどうにか人の目に見える霧になりました。おじさんも霧の中に入り込
んできていいました。
「下にある湖で自分の姿を写してごらん」
そう言われて下を見ると、自分がふわふわの綿のような雲になっているのが見
えました。
「え?これが僕なの?でも僕一人の姿じゃないや。僕はワンマンショウをやり
たいんだ」
「こう考えるといい。ジョウ一人は綿雲のために。綿雲はジョウ一人のために
あるんだってね。それより、もっと高く上がるよ。そうすればジョウは大人に
変身できるんだから」
「何に変身するの」
「今に分かるさ。さあ旅のスタートだ」
旅と言われても、ジョウは何のことか分かりませんでした。
 また風が吹きジョウ達の綿雲はどんどん高く上がって行き、その度にますま
す寒くなり、雲の小さな水の粒はギュッと身を寄せ合って、どんどん大きなス
クラムを作りました。
 あたりが暗くなりました。
「さ、わしらはもう雲ではいられないほど大きくなった。そろそろ飛び降りる
ぞ」
 その時ピカッと何かが光りました。稲光です。すかさず
グラガン、ゴゴーと雷が響きました。その震動でジョウ達は大粒の雨になり大
地に向かって飛び降りたのでした。
大粒の雨がひとしきり降りました。あちこちに小さなたまりが出来ました。
 一緒に落ちてきたおじさんが言いました。
「短かったが、これでわしとジョウはお別れだ。わしは小川から大きな川に出
て、やがて海に帰るが、ジョウは畑の土に入り込み、野菜になったり人の体に
なったりで、いろんな世界を見るだろう。出来れば地上の多くの生き物の役に
立って海に帰って来るといい」
「それって、僕一人でできることなの」
「一人ではどうかな。おや、ちょうど良い。空を見てごらん」



おじさんが指さした方に目をやると、そこには大きくな虹がかかっていました。
虹の美しさにジョウの心は震えました。
「いいかいジョウ、あの虹は、雨にならず空中に浮かんだ無数(むすう)の水
滴(すいてき)が、太陽の光をくっせつさせ反射させて作っているんだ。取る
にたらない一粒一粒(ひとつぶひとつぶ)の働きは小さいが、大勢(おおぜい)
集まればあんなにりっぱな架け橋になるんだよ」
 おじさんは言い終わると、サラサラと小川に向かって流れて行きました。ジ
ョウは急にワンマンショウの夢が小さな事に思われてきて、
『僕も大きな虹の一粒(ひとつぶ)になろうかな』
そう思うと晴れ晴れした気持ちで、仲間達と一緒に畑の土に染(し)みこんで
いったのでした。