小学校の校長をした祖父の影響なのでしょうか
父は田舎の中学校校長になりました
母の叔父は父と同じ町の小学校校長で
叔父の家の隣には校長仲間が住んでいました
三人は事あるたびに酒を飲み
僕は夜中に酒屋へ行かされたものでした
小学生であった僕は
教貝なんぞには絶対成るまい
呟(つぶや)きながら夜道を歩いたものでした
母は小学校の教員でした
教え子が時折尋ねて我が家に来ました
その人のご主人が南極観測に同行した人でした
南極の石を土産に貰ったこともありました
教員もいいものだなと
石を見て思ったこともありました
僕は何になりたかったのでしょうか
医者になれたら嬉しいと母はそれとなく言いました
貿易商になるといいがと父が言い
昔は誰もが海軍大将に憧れたがなあ
酔った叔父が言いました
僕は何もしないでボーつとしていたかったのですが
それはどうも許されない雰囲気でした
兄は中学の教員になりました
姉も小学校の教師になって
同僚の青年教師と結婚しました
母の兄が教職を退官した頃
その退職金を一部借り我が家は家を新築しました
気付いたら僕も高校の教師になっておりました
学生時代に付き合っていた教員志望の信州人と結婚し
子供が二人生まれました
腕白坊主と怪我ばかりする子供等でしたが
これと言った躓(つまづ)きも無いままに三十年が経ち
子供らもやっと独立してゆきました
八十七で父は八年前に他界しました
施設に入り半年過ぎた母は今年八十八です
我が家は妻と二人きりになりました
なすことを 終えてゆく身を 悲しむな
極楽浄土が 我を待つのみ
父の親が死に近い床の上で
見舞いに来た我が子等に書き送った歌だそうです
「俺もやるべき事は終わったなあ」
死の床に伏した年の瀬 父の眩いた言葉です
祖父の歌と父の言葉が
何故か最近無性に思い出されてならないのです
高安義郎