壊れたスマホ
                


 「もう電話はしないで」そう言い残し良太は背を向けた。「待って」絵里は叫んだ。

 振り返ることもなく良太は暗い公園を出ていった。

 なぜ嫌われたのか絵里には分からなかった。自分のどこがいけなかったのか。これまで好

 かれるために親切にし言葉づかいまで演出し、あらゆることを彼の好みに会わせてきたのに。

 そう思うと絵里は情けなさに力が抜け、近くのベンチに腰掛けた。

 あれは本心ではないかも知れない。

 もう一度電話をし本心を確かめたい。

 スマホを持つ手が震えた。

 ふとスマホが手からすべ滑り足元に転がった。拾おうとした時だった。メール画面に文字

 が現れた。良太かな。あるいは壊れたのだろうか。急いで手に取ると、

 『何が知りたい?』

 そんな文字が浮かんだ。壊(こわ)れたのだ。そう思いながら、

 「彼の本当の心を知りたいのに」

 絵里はポツリと言った。

 『知ってどうするの』

 絵里の言葉に反応するようにメッセージが変わった。

 「本当の気持ちが分かれば諦(あきら)めもつくわ」

 絵里は不思議にも思わず呟(つぶや)いた。

 『知らない方が幸せさ』

 まさしく絵里の声に反応していた。

 「嘘よ。何を言ってるの、壊れスマホのくせに」

  絵里が言うと、

 『心の中が分かる世界の、怖い話がある』

 「何よそれ」

 絵里は声高に言った。

 『話すからね』

 メールは淡々(たんたん)と文字を流しはじめた。

 『何万年もの昔、心の中が読める人種がいた』

 「隠し事なんか無くて素敵な世界だったでしょうね」

 『そうかな。恋人どうしは相手の好意がすぐにわかり、家族の中では子供の躾(しつけ)も簡単

 だった』

 「そうでしょ、羨(うらや)ましい。嘘の言い訳などもいらないし、聞き違いもないもの」

 『そうだね。子供のいる家族はそれで良かった。でも村では困ることが沢山起こったんだ』

 「どうしてなのよ」

 『村どうしのかけ引きが相手に見透(みす)かされるからさ』

 「だからどうなの」

 『口先で、助け合おう、などと言っても、内心は相手を抑えつけようとしているした下ごころ

 心が全部分かってしまうんだ』

 「分かるとどうなるの」

 『激しい争いが始まり、来る日も来る日も殺し合い、とうとうその人種は互いに滅びてしまっ

 たのさ』

 「私達は生きているわ」

 『君たちは次に生まれた心の中の読めない人種だもの。言葉だけを頼りにして生きている。

 だから何とか生き長らえているのさ』

 「嘘よ。私は私の純粋な心を知ってもらえないほうがずっと悲しい」

 絵里はスマホを握りしめた。

 『そうまで言うなら教えてあげる。良太は前の人種の遺伝子を受け継いでいる珍しい人間なんだ。

 だから絵里の心がわかる』

 「それなら私の純粋な心を知ったはずよ」

 『そうだろうか』

 「そうよ」

 『いいや。絵里の親友の美佐が良太に興味を抱いたことがあったね。その時『エリート企業に

 勤める美佐の彼氏なら良太と交換してもいい』そんなことをふと思ったろ。それを知って良太

 はがっかりしたことがあった』

 「あら、それ本気じゃなかったわ」絵里は小声で言った。

 『良太への親切も結婚するまでの我慢だ。そう思っていたよね。それから良太の口やかましそ

 うな母親が亡くなった時、ほっとしたわ、そう内心つぶや呟いたこともあるじゃないか』

 絵里は一瞬言葉をなくした。

 「だってあのお母さん口やかましいんだもの。それに心の揺れを咎(とが)めるのはおかしいわ」

 『心の揺れなのか本心なのかはどうやって知るの?』

 「だから本心は言葉に出して言えばいいのよ。言葉だけを信じていればいいの」

 『おや、言葉が信じられなかったのは絵里だよ。良太の今の気持ちならはっきり聞いたはずだよ』

 絵里は何も言えなくなってしまった。

 言葉は本当に本心の発露だろうか。いや違う。私も良太の本心を知ることができたらどんな

 にすっきりするだろう。

 「私の体には彼のような遺伝子は全然ないのかしら」

 すがるように言った。

 『ない。それに人の本心は知るべきじゃない。相手の心が分かってしまう良太は、むしろ可愛
 
 そうなのかも知れない 』

 スマホのメールはそこで途絶え、青い画面が夕闇に、一瞬輝いて消えたのだった。

       
                 

高安義郎