仲の良かった三人が同級生の次郎の通夜で顔を合わせた。洋二と紀夫、そ
して健太の三人が顔を合わせたのは四十年ぶりだった。通夜が済むと三人は
黒ネクタイを外し、忌中払と称して駅前の居酒屋に入った。
「次郎も釣りが好きだったなあ」グラスを片手に洋二が言った。
「そうだったな」
酒を飲むと陽気になる洋二もその日は口が重かった。
「そう言えばみんなこの三月で定年退職だな」紀夫が言うと、
「あっけなかったなあ。健太は今何をしている?」
「六十を過ぎた人間に働き口などないよ」
「俺と同じ無職か」
「俺もだ。でもこれまで家族のために働いてきたんだ。少しのんびりしたっ
て罰はあたらねえだろ」
「まったくだ」
子供の頃はこの四人が集まれば釣果の自慢話や、一緒に釣りに行く相談が
始まるのが常だ
った。しかし大人になってからは一度も四人が揃って釣りをしたことはな
かった。
「次郎は相当苦労して従業員千人の会社の代表取締役になったらしいな」
「そうだよ。俺たちの中じゃ一番の出世頭だったのに」
三人は黙ってビールの飲んだ。沈黙が流れた。やがて洋二が言った。
「考えてみると、人生は釣りに似てるなあ」
「釣りに?どうして?」
「子供の頃はいろいろな夢を持っていたけど、何一つ叶えられなかったし」
「それがどうして釣りに似てるんだ」紀夫が言うと、
「洋二の人生哲学が聞けそうだな」
健太が言った。紀夫と健太は洋二が話す人生哲学を肴に杯を傾けた。
「釣りに行く前の日はウキウキするだろ。でっかいのを釣るぞ、仲間に自慢
してやろう。家族をおどろかしてやろうと思って準備をしてさ」
「それが何故人生なんだ」
「まあ聞けよ。準備は学生時代みたいなものさ。やがて思い思いの川や海で
糸を垂らす。でもなかなか釣れない。餌ばかり取られてしゃくに障り、場所
を変えたり浮き下を直したり」
「それが釣りってもんだ」
「そう、それが釣りだ。今度こそ大物が釣れる。今度こそ本当に釣るぞって
思って気長に糸を垂れる」
「そうだなあ、期待があるから吹きさらしの川辺や炎天下でも我慢で来るん
だよなあ」
「だけどさ、時折向こう岸ででかいのを上げている奴がいるんだよ。あれは
悔しいよなあ」
「全くだ。自慢げに餌の講釈なんか初めやがると、蹴っ飛ばしてやりたくな
るよな」
「全く全く」
「ところでその釣りと何処が人生に似てる?」
「うん、向こう岸で大物を釣ったのは取締役になった次郎だ。小魚ばかり釣
っているのが俺だ。そうしている内にいつの間にか日が暮れる。ふと女房や
子供の顔が浮かぶ。大物を釣るぞって啖呵を切った手前、寂しさが込み上げ
る」
「また次に期待すれば良いじゃないか」
「いいや、夕方になったってことは・・・・」
「夕方になったってことは?」
「そりゃあ還暦を迎えたって事なんだよ」
「なに還暦?定年退職ってことか」
「俺たちも今年退職したけど」
そう言ったまま紀夫も健太も口をつぐんだ。やがて
「それじゃなんだか、俺たちの人生はたいした意味の無い人生を送ったみた
いだなあ」
「次郎だけが良い人生だったのか?」
三人には気まずい時間が流れた。しばらくして洋二は言った。
「でも俺の釣った小魚を女房も子供達も喜んで食べてくれた。でも独身だっ
た次郎の魚を誰が喜んで食べたんだろ」
すると健太が思い出したように、
「そう言えば次郎の母さん、泣いていたなあ。米寿になるらしいぞ。次郎の
兄さんは若いときに亡くなったし、大物を釣っても食べる人がいなくちゃな
あ」
三人はまた湿っぽくなった。やがて洋二はゆっくり言った。
「でも今思うと大物は釣れなかったけど、糸を垂らしている間は楽しかった。
今思うと子供達と小魚を食っている時が幸せというやつだったのかも知れな
い。だから釣りは人生と同じなんだ」
洋二の言葉に
、
「なるほど。鯛のつもりの鰯を食えど、家族で食えばあな楽しってことか。
よし、今度こそ三人で夜釣りに行こう。夜釣りなら夕暮れにならないしな」
その言葉に三人は声を揃えて笑った。


