亮太が降り立った駅は漁村だった。駅を出て歩いていると、

『漁師見習い募集』

 そんな貼り紙が目に入った。貼り紙には『さかな、食べ放題』と書いてある。亮太は

魚には目がなかった。なぜなら、実は亮太は河童だったのだ。その河童がどうして人間

の世界に居るのかには深い訳がある。

 亮太の暮らしていた河童の村は東北の大きなという川の中州にあったが、人間の手に

よる自然破壊が進み、暮らしづらくなったのだ。河童達は住み慣れた川を離れて行った。

中には『ムジナ村』という貧しい隣村に移り住んだり、遠い異国に旅立つ者もいた。

 河童は人間に化けることくらいもない。背中にくっついているは、実は亀のそれとは

異なり取り外せるし、頭の皿はただのであって、ヘアーピースを乗せれば人間と見分け

がつかない。口のとがった河童の絵をよく見かけるが、あれはたまたま怒った時の顔を

どこぞの絵師が大げさに描いたにすぎない。

 やがて泉川流域の河童村から河童達はいなくなり、残ったのは亮太親子だけになった

「おれはこの川の親方として生きてきた。今更よその土地では生きたくない」それが父

親の口癖だった。父親の頑固なまでの信念が亮太には
なものに思え、自分もできれば父

と同じように泉川に住み続けたいと考えた。

 やがて父親は百歳でこの世を去った。河童族にしては少し早死にだ。環境の悪さが死

期を早めたのだろう。独りになった亮太は、しばらく父の墓を守って暮らしたが、十五

歳になった年の冬、とうとう食べるものがなくなり人間の町に出てきたのだ。

 出て来た当初、人間社会でどう生きればよいか分からなかった。言葉は幼児程度にし

か理解できない。腹が減り、動けないで居ると警官に補導された。河童の十五歳は人間

の五〜六歳くらいにしか見えない。

「君は幾つ?名前は?」いろいろ質問されたが答えようがなく、

「わからない」を繰り返していると施設に預けられ、そこで十数年暮らしたのだった。 

人間の食べ物を食べ、寝起きを一緒にすると人間と同じように歳をとった。

 やがて高校を卒業し独り立ちして十年が経ち、人間の暮らしも捨てた物ではないと思

い始めた頃だった。一人の女の子と知り合いになった。亮太には初めての恋だった。  

だがその恋をどう育てれば良いか見当もつかず、婚活の本を読んだり仲間に聞いたりして

みたが、不安は
るだけだった。『生きること』とはどうすることか。結婚し生まれた子供

はどう育てれば良いか。良い人生とはどんなものか。また生きがいにしてきた河童の誇り

をどう守れば良いのか。何より自分が河童であることが、生活にどう影響するのだろうか。

 そんな迷いのせいか、二年ほど続いた彼女との交際も次第に冷め、彼女は別れ話をほの

めかし始めた。ある時彼女は、

「これ読んで」そう言って一通の手紙を渡たされた。別れの手紙だと亮太は察した。

 亮太は仕事を辞め、ふらりと旅に出た。

 列車の中で彼女からの手紙を広げた。

「私、あなたの秘密知ってます。あなたは本当は河童でしょ。秘密なら私にもあります。

私の先祖はムジナ村出身で、私はムジナです。人間は勝手に自然をゆがめているけれど、

そんな生きづらい世界でも二人なら何とか生きられる。生きるためなら私どこへだって

行ける。生き続けることが私たちムジナ族の誇り。河童族もそうでしょ」

 読み終えると亮太は列車を飛び降りた。降りた所が房州のさる駅で、そこで『漁師募集』

の貼り紙を見つけたのだ。亮太は貼り紙の前で彼女の携帯に電話をした。

「俺、この町で漁師になろうと思う。河童で良かったら君もこの町に来てくれないか。河

童もムジナも、懸命に生きることが生き物の誇りだって気づいたんだ」

 すると誰かが亮太の背中をつついた。それは、そっと亮太の旅の後を追って来た彼女だ

った。

「やっと気づいたのね、河童の亮太君」彼女は笑顔で言った。

 それから数年後、結婚して生まれた子が、これを書いている私なのである。


                              

                       
河童の亮太

高安義郎