研究室では瞬く間に時が過ぎ一時間も五分程度にしか感じられない。そのこと

      を細君に話すと「娘の成長は時間がかかり、やっと手が離れた頃は自分はおばあ

      さんになっているだろう」と寂しそうに言った。そこでドクは、時間をコントロ

      ールする方法を見つけてやろうと考えた。しかし時間の概念を知るドクの知識は

      じきに行きづまった。「未経験は時として大発明の種子を蒔く」ふと誰かの言っ

      た言葉を思い出し、時間の概念など考えてもいなそうな予備校の教え子たちに声

      をかけた。

      「諸君の脳をリフレツシュさせてやろう。時間を操るアイディアを考えてきなさ

      い。頭が柔らかくなり物理的思考には驚くほど役立っだろうから」

      そんなでまかせを言った。

       数日後、何人かの生徒がアイディアのメモを提出した。そこには地球の自転を

      停止させる方法や地磁気を強めて世界中の時計を狂わせるといった戯画的な方法

      から、高速ロケットに乗って年をとらせないというアインシュタインの理論の借

      用もあった。中には「私に支点を与えよ。地球を動かし時間を止めよう」と、聞

      いたふうな見当外れのものもある。

       コーヒーを入れて来た細君にドクは

      「今度の研究は自分だけに時間が流れないようにする研究だ」と言った。

      「あらうれしい。年を取らなかったら最高。そんな機械早く作ってね」

      細君がドクの研究に初めて関心を示し、大いに期待をかけてくれたのだ。期待され

      ればドクの情熱は一層ふくらみ、是非成功させなければと考えた。生徒のメモの最

      後の一枚を見た。

      「僕の祖父は古い時間を持っています。一度夜においで下さい」

      簡単な地図も書いてあった。見れば二駅向こうの郊外だ。"古い時間"とは何だろう。

      その文字が心の隅にひっかかり何かにつけて思い出された。

       久しぶりに仲間の家で酒を飲み、夜遅く帰宅することがあった。友人と別れ、

      気がつくと次の駅が生徒のメモにあった駅だった。ドクはうろ覚えの地図を頼

      りに訪ねてみようと思い立ち地図の駅に降りた。そこはひどく寂れた小さな町

      でゴーストタウンを思わせた。見当をつけてしばらく歩くと目印の大きな倉庫

      の前に出た。この裏側だ。ドクはおそるおそる裏に回った。昔の商店を思わせ

      るガラス戸に黒ずんだカーテンのかかった家が潜んでいた。夜の九時過ぎで気

      がとがめたが声をかけた。奥から現れた少年は予備校でよく見る顔だった。

      「先生本当に来たんですか。まいったな。でもおじいちゃんまだ起きてますか

      らどうぞ」

      呼ばれて出てきたのは痩せこけた老人だった。ドクが老人に案内された部屋は

      沢山の時計が並べられた物置だった。

      「昔時計屋でしてね、商売をやめた時残っていた時計を置いてあるんです。孫

      が言ってましたが古い時計に興味がおありだそうで」

      古い時間ではなく古い時計だったのだ。時計と時間の文字を間違えたのか、あ

      るいは彼のいたずらだろう。ちょうどその時柱時計が一斉に十二時を打った。

      「ずいぶん進んでいますね。しかも全部」

      ドクが言うと「先生が来てから、もう二十年経っているんです」

      後ろから声がした。振り返ると少年が髪を白くし、髭をはやして五十格好の男

      に扮して笑っていた。人を食った生徒にやや憤慨しながら暇を乞い、我が家の

      玄関先にたどり着くと、ふとドクは不安に思った。もしも少年の話が本当だっ

      たとしたら、妻は六十を過ぎた老婆のはずだ。いきなり二十も年を取った女房

      など見たくはない。そんなことを思いながら身震いをしチャイムを鳴らした。

      出迎えた妻の顔を見てドクはぎょっとした。目の前にいるのはなんと年老いた

      妻だった。ドクは唖然とし腰を抜かして崩れ落ちた。

      「まあ、こんなに酔って」

      声の顔を良く見ると、それは田舎からやって来た細君の母親だった。抱き起こ

      してくれる細君に

      「よかった。やっぱり歳はみんな一緒に取ろう。あの研究は中止だ」

      酔って回りづらい舌で言った。すると細君は

      「あら馬鹿ね、本気だったの」とさりげなく言った。


                  

      

古い時計

高安義郎