詩集「母の庭」
あとがき


 思えば私のこれまでの作品は、どうしても書きたいと、いう衝動に駆り立てられてのそれで

は無かったような気がする。どちらかと言えば書くことの楽しさが先行していたようである。

むろんそれはそれで、詩という文芸が持つ一端の意味を満足するものと思っているが、今回

の詩集はどうしても書いておきたいものがこの数ケ月間に湧き出てきて、書かなけれぱ自分

は大事な何かを忘れ去ってしまうのではないか、そんな不安に突き動かされたのだつった。

今年の四月から六月までの頃は、書いても書いても言い足りない焦燥感にさいなまれた。一

日に五編以上書いたこともある。その五編を一編に集約したこともある。総てを捨て去つた

こともある。何故これほどまでに書いておきたかったのか。その答えをしかつめらしく答え

ようとは思わないが、これは私の半生、というよりむしろ人生の大半に大きく関わつてきた

人の、心の崩壊がそうさせたのであった。

 具体的には、私の母のアルツハイマー病の発症である。これまで見つめてきた、あるいは

見せつけられてきた私にとっての母の像が、あまりにももろく変形したことの動揺である。

母は平成十四年二月十一日に地元のグループホームである「ガーデンコート東金」に入所で

きたが、入所して二月ほどはほとんど詩など書けなかつた。それまでがあまりにも神経が疲

れていたのだ。介護に疲れ自殺した主婦の例を私は身近に知つている。自殺する人の精神状

態をおし量るに十分な状況に、私も私の妻も追いやられていたのである。作品に書き残そう

と思い立ったのは、母の入所後しばらく経ってからのことであった。したがって作品の後に

付した日付のうち、四月以前の作品は母の症状を思い起こしながらのものであり、四月一日

以降のそれは作品の原型が出来た月日を記してある。

 三十余編をまとめ終えて気付いたのだが、私はこの作品の中で、眼に見えない何ものかと戦

っていたような気がする。見えないものとは何か。それは表面的には肉親であり世間だが、自

分白身が抱え込んできたある種の妄想ではなかったか。その妄想はやがて自分自身の人生

の降伏宣言のような形を露呈し出した。降伏などという言葉は、これまでの私には考えてみた

ことさえなかったことが、ここではほとんど低抗なく表現できている。それはやはり母の像の喪

失にあるのかも知れない。ある意味で私は呪縛から解き放たれたようにも思える。とは言え果

たしてそれが本当だったと言いきれるのかどうか、それとて疑問も無くはない。ただこの思いは

やはり今、記しておかなければならないのではないか。そんな気持ちが今回の詩集になったよ

うな気がする。

(詩集「母の庭」の出版にあたりヴィジュアルメツセージ社の岡部一郎氏には大変お世話に

なりました。

そして帯には元日本現代詩人会会長の新川和江氏に心温まる一文をお寄せいただきました。

また、表紙の装丁には日本画家故若木山画伯の作品「酣春」を使用させていただきました。

使用するにあたり画伯の奥様でいらっしゃる道守由枝様には快くご了解いただきました。

皆さまには心より御礼申し上げます。)

 平成14年盛夏                            高安義郎