江戸の仇(かたき)  

高安義郎




  小学校時代の仲間が集まり、何十年と開いたことのないクラス会の計画を立

 てることになった。集まったのは女性三人男性四人で、この七人が全員幹事に、

 なり代表者は卒業した小学校の教師をしている私が仰せつかった。七人は互い

 に懐かしがり、クラス会の段取りはなかなか進行しなかった。

 「クラス会も良いが、その前にこの七人で一泊旅行をしないか」

 誰かが言った。子供の頃から調子の良い竹子が頓狂な声で

 「賛成。ねえねえ、加代ちゃん、さっちゃん、行こうよ。近場だけど良い所知

 ってのよ」

 話はいつの間にか旅行の話になった。

 「近くなら車で行こうよ。運転手には悪いけど、飲みながら月の砂漠はどう」

 房州の御宿に竹子の親類が営む旅館があると言うのである。

 「だれが運転する?」

 一斉に幹事代表の私に視線が集まった。

 「新ちゃんは酒、飲めないぞ」

 私は押しつけるように言った。

 「でも俺の車は軽自動車だし、他人の車は運転しない主義だから」

 新一の言葉を受け、

 「あら、車の品評会じゃないんだから。何だって良いのよ。幸ちゃんだって学

 校の先生だから、どうせ軽よね」

 竹子はまくしたてた。

 「本当か?幸ちゃんも軽か?」

 そう聞かれて私はつい「まあね」と返事をした。

 実は私は少々車にこだわる趣味があり、今乗っている車はドイツのボルボだっ

 た。言い直そうとして顔を新一に向けたその時だった。私はふと四十年も昔の

 あることを思い出した

 のだった。

 それは小学生の頃の事である。当時カメラなどを持っている子供はほとんどい

 なかったが、私は小遣いを貯め、小さなカメラを買って持っていた。それは本

 当におもちゃのようなものであった。それでも人や景色をはっきり撮すことが

 でき、家族や近所の友達を撮ったりして遊んだ。今でも母を撮った写真が色あ

 せることなくアルバムにある。

 小学校最後の修学旅行に行く前日のことだった。

 「カメラ、持っていくかい」

 と聞いてきた仲間があった。それは今目の前にいる新一だった。

 私は「僕のはおもちゃみたいなのだから、やめる」そう言うと、

 「俺もそうだよ。二人で持っていこう」

 と言った。私は気が進まなかった。だが新一は持って行きたいのだろう。

 しかし、おもちゃの様で恥ずかしいから、私に仲間になってくれるよう頼んで

 いるのだ。そう思った私は、全く彼の為に持っていくことを約束したのだった。

 新一の嬉しそうに笑った顔が今も目に浮かぶ。ところがである。当日私がバッ

 グからカメラを出すと、新一が取り出したのは大人が持つような大きなカメラ

 だった。仲間は驚異の目で

 「見せてよ。新ちゃん」「触らせてよ」

 と彼の周りを取り巻き、私のカメラを見ると

 「それ、おもちゃじゃん」

 と一瞥をくらわせたのである。私は急いでバッグにしまい込んだ。彼は自分の

 カメラの立派さを際だたせるために私を利用したのだ。新一が憎かった。新一

 は私の惨めな気持ちを斟酌(しんしゃく)することなく、バスの中でも旅館で

 も仲間を集めては撮影し、常に話題の中心にいた。私が人を信じなくなったの

 は、実はこの時からであった。

 「よしドライブがてら旅行しよう。なあ新ちゃん」

 私の返事で七人の小旅行はその日の内に決まった。竹子は強引に頼み込み普段、

 使わない別館を使わせて貰うことになったようだ。

 一月後、ドライブ旅行当日の事である。既に集合場所には六人が集まっていた。
 
 脇にはバンパに傷の付いた軽自動車が止まっていた。私は颯爽(さっそう)と

 深緑色のボルボを乗り付けた。六人の目は点のようになりボルボと私を交互に

 見つめた。『ボルボのエステートクラシックと言ってね』自慢めいた声が喉か

 ら出かかった。だが口をつぐみ、予定どおりに女性達を分乗させて走り出した。

 「幸ちゃんの車で当たりだね」

 竹子が小声で言った。私の後からついてくる新一の軽が、時折淋しそうにミラ

 ー後方に写った。

 『江戸の仇を長崎でだ』

 私は心の中で呟いた。だが旅行の間中新一は腹を立てる素振りもなく、絶え

 ずにこにこしていたのである。私はなぜか、自分がこの上なく小さな人間に思

 えてくるのだった。