


ある町の新しい家のたち並んだ中に、クリーム色の家が一軒ありました。
そこの庭のかたすみには、小さな花だんがありました。
この家の四さいになる女の子のナルは、この花だんを『ナルナル花だん』
と呼び大事にしていました。
ナルの家のとなりは、二年前までは広い空き地でしたが、今年になって四
かいだての白いビルがたちました。それは、となりの町から引っこしてきた、
ある工む店のビルでした。このビルには広い荷物置き場があり、そのわきに
は大きな車庫があります。
車庫には毎日トラックが何台も出入りしていました。その車庫のすみに
は、小さな花畑があり、その花畑は『ナルナル花だん』とは竹のかきねでし
きられていましたが、つながっていました。
ナルは花が好きで、一日に何回もナルナル花だんにやって来ては、水をま
いたり部屋にかざるために、花を切ったりしていきました。
この花だんからは、工む店の白いビルが、おおいかぶさるように見え、ナ
ルには空にとどいているような高さに見えました。
「高いなあ。おくじょうからは、町が全部見えるのかなあ。小鳥さんだった
らのぼれるかなあ。ナルにはのぼれないもん」
ナルは、そんなひとり言を言っては、ビルの上をながめていました。
雨がしとしとふる五月のことでした。その日も朝から雨がふっていまし
た。ナルナル花だんには、雨にぬれたあじさいが、みごとな青い花を咲かせ
ていました。雨が小やみになったころ、ナルは、あじさいの花を一枝切ろう
して、花だんにやってきました。
「このお花が大きいや」
そう言って手をのばそうとすると、あじさいの葉の上に、一ぴきのカタツム
リが乗っているのが見えました。
カタツムリをおどかせないように花のくきをにぎると、ポケットから大きな
はさみを取り出しました。その時です。
「おねがい。やっと咲いたんだから、切らないで」
だれかが、そう言ったようでした。
「だれなの」
ナルはふりむきました。でも、うしろにはだれもいません。
「ぼくだよ。ナルちゃんの目の前の、カタツムリだよ」
そう言われてよく見ると、十円玉ほどのカタツムリが、ナルを見上げていた
のです。
「カタツムリさんは、お話ができるの?」
おどろいた目をして、ナルは聞きました。
「いいや、ボクが人間の言葉が話せるんじゃなくて、花を育てることの好き
なナルちゃんだから、ボクの声が聞こえるんだよ」
「じゃあ、パパやママにも聞こえるのかな」
「さあ、どうだろう。本当にお花を大事にしている人だったら、きっと聞こ
えると思うよ」
「わかった。それはわかったけど、どうしてお花を切ってはいけないのか、
わかんない」
ナルが聞きました。すると、
「ここはぼくたちカタツムリの楽園なんだ。だから花は、ぼくたちのものだ
らだよ」と言うのです。
ナルは変なことをいうカタツムリだなと思いました。ルナも負けてはいませ
ん。丸いかおのほほをふくらませ、
「このお花は、ナルがパパといっしょにうえたんだよ」
少しおこったように言いました。
「それじゃ、いいものを見せてあげるから、花を切るのはがまんしてよ。
これはまだ、仲間のだれにも見せてないんだ。何しろたったいま変身したば
りだかりなんだよ」
「なんなの。どう変身したの。早く見せてよ」
「それじゃ、ぼくをじっと見てごらん。ぼくの背中の貝を見るんだ」
そう言ってカタツムリは、うしろを向きました。
見ると、そのカタツムリの貝は、きれいなにじ色に光っていたのでした。
「どうだい、きれいだろ。これだけきれいなカタツムリは、世界中さがした
て、ぼくくらいなものさ」
そう言ってじまんしました。
ナルはうっとりした目で、ネオンサインのようなカタツムリに見とれてい
ました。
「にじ色カタツムリさん。どうしてにじ色に変身できたの?」
ナルが聞くと、
「よくわからないんだ。特にこうなろうとしてがんばったわけでもないし。
生まれつき、こうなる運命だったのかなあ」
そんなお話をしていると、いつの間にか、たくさんのカタツムリが、にじ色
カタツムリのまわりに集まってきて、くちぐちにほめ始めました。
「きみのようなカタツムリがいることは、ぼくらにとってほこりだ。これか
らも、たくさんの花のエキスを吸って、もっともっときれいにかがやいてく
ださい。私たちはいつまでもあなたの見方です」
村長さんのような顔をした、年よりのカタツムリが、代表であいさつをしま
した。
「りっぱな先ぱいがいるおかげで、花だんの花は、人間につみとられないで
すみます。これからも、その美しさを人間に見せて、花を切らないように、
人間どもに注意してください」
そう、若いカタツムリが言いました。
「にじ色カタツムリがいる花だんなんて、実にめずらしい。そのめずらしい
かだんにいるぼくたちはえらばれた生き物だ。ほかの虫が来たら、みんなけ
らいにしよう」
いせいのよいカタツムリが言いました。
「ぐうぜんこの花だんに生まれただけで、そんなにえばっていいのかなあ」
そう、つぶやいたカタツムリもいましたが、多くのカタツムリは、
「そうだ、そうだ。おれたちはえらばれた生き物だ。
にじ色カタツムリ君を王様にして、この花だんに王国をつくろう」
そんなことを言い出したのでした。この言葉をきっかけに、
「そうだそうだ。それがいい」
「ぼくも賛成だ」
「私も賛成よ」
「反対のやつなんていやしない」
みんなくちぐちにさわぎたてました。
このようすを見ていた一ぴきのナメクジがおりました。あじさいの根もと
をかくれるようにして暮らしていたナメクジです。このナメクジは、カタツ
ムリたちが花だんにやって来るよりももった以前、お祖父さんの、そのまた
お祖父さんの昔から、ここにすんでいたのでした。
「おい、こんなところに、ナメクジがいるぞ」
わんぱくそうなカタツムリに見つかってしまいました。ナメクジは、みんな
のいる所につれだされました。
ナメクジを見たナルは、
「わあ、きもちわるい」
そう言って、はさみを放り投げ、家の中に逃げこんでしまいました。
「お前はみにくい体で、どうしてこのきれいな花だんに入りこんだのだ。
しかも人間の子供をおどろかした。悪くすると、子供のおやが、この花だん
をこわしてしまうかもしれないじゃないか。そうなったら、お前のつみは重
い」
ひげをはやしたカタツムリが、いばった顔でナメクジに言いました。
「そうだそうだ。ナメクジなんか、最低の生き物だ。
生きていることじたいまちがっている。ナメクジを作ったのは、どんな神様
かお釈迦様かは知らないけど、つみぶかいことをしたものだ」
そんな、らんぼうなことを言う若者もおりました。
「ぼくにだって、何かできるはずです。そんなに悪し様に言わないでくださ
い」
ナメクジは出ずらい声を、なんとかしぼり出すようにして言いました。
「お前の声は、とけたあめ玉みたいにデロデロじゃないか。 おまけに、言
ってることもなまいきだ。おまえにできるものなんか、何もありはしない。
こうなったら、今からさいばんを開き、ナメクジのつみをあばいてやるぞ」
ひげのカタツムリが言うと、たちまち裁判員たちが並び、検事席から声が
しました。
「オレから言わせてくれ」
「つぎは私がナメクジのつみを話します」
つぎつぎに、みんながナメクジの悪口を言い出しました。
「ナメクジは、オレたちカタツムリのような、りっぱな貝の家を持っていま
せん。それは彼がなまけものだからです」
一人が言うと、
「そうだそうだ。なまけものだ」
まわりから、ヤジが飛んできます。
「ナメクジは、ぬらぬらしていて、気持ちわるいです。きっとめんどうくさ
がりで、顔も手も洗ったことがないからです」
するとまた、
「そうだそうだ、めんどうくさがりだ」
と声をそろえます。
「くさった葉っぱや草の根をなめているので、ナメクジの息はとてもくさい
です」
「そうだそうだ。くさいぞくさいぞ」
とヤジ。
「くさったものだけでなく、きれいに咲いたあじさいの花や、ゆりの花など
をなめて、きたない食べかすのすじを作ってしまいます。若い木を枯らして
しまうこともあります」
「とんでもないやつだ」
「なにもとりえがないのに、大きい顔をして生きているのは、まちがってい
ると思います」
みんなかってなことを言い、ナメクジの悪口をならべたてました。さんざん
悪口を言うと、会場は少し静かになりました。
「うったえることは、それだけですか」
さいばん長がいいました。
「もう一つ言わせてください。ナメクジは、ぼくたちカタツムリの親せきだ
と言いふらしているようですが、われわれにとっては、とんでもないめいわ
くです」
その発言の後、会場では、
「おい、それは本当か。うちはゆいしょ正しいカタツムリだ。 ナメクジと
親せきのカタツムリも、いっしょに裁判にかけたらどうだ」
そんなざわめきが聞こえました。ナメクジは、じっとだまって聞いていまし
た。なぜなら、くさったものを食べていることも、きれいに咲いた花をかじ
ることも、みんな本当ですし、カタツムリとナメクジが遠い親せきであるこ
とは、だれもが知っていることだからです。
「なにか、はんろんがあったら言いなさい」
ひげのカタツムリが言いました。
「いいえ、何もありません。気持ちわるいと言われても、貝がないと言われ
ても、そのように生まれてきたのだから、ボクにはどうしようもないことで
す」
ナメクジは下を向いて、小さい声で言いました。
「では、はんけつを言いわたす。ナメクジは、この『ナルナル花だん』から
出て行くこと。そして、二度とわれわれカタツムリ王国の前にはあらわれな
いこと」
はんけつを聞いていたカタツムリたちは、
「いいぞいいぞ。ナメクジなんか出て行け。この花だんに帰って来るんじゃ
ないぞ」
そう言って、はやしたてました。ナメクジは言われるままにのろのろと、あ
じさいの葉をつたい、くきをつたい、地面におりて行きました。
「さっさとおりろよ。せっかくのあじさいがくさくなるじゃないか」
「なんだ、まだそんな所をはっているのか。のろまだなあ」
「オイ、だれか、ナルに塩を持って来るようにたのめ。こんなにのそのそさ
れていては、この花だんのひょうばんにかかわるから、早くとけてもらおう
じゃないか」
「そうだそうだ。それがいい。塩をかけられて、とけていくのを見物するの
も、おもしろいじゃないか」
ひっしになっておりていくナメクジを、みんなが、くちぐちにバカにしまし
た。バカにするついでに、『デロリン』などとあだなをつけました。
「お前は声も体もデロっとしているからデロリンだ」
「そうだそうだ、デロリンだ。デロリン様のお通りだ」
小さい子供のカタツムリまでもが、そう言って、はやしました。それでもナ
メクジは、今まで自分には名前がありませんでしたから、
「おもしろい名前をつけてくれてありがとう。これからぼくは、デロリンと
名のることにするよ」
そんな気のいい返事をしながら、せっせ、せっせと、はっていったのでした。
デロリンは針のような視線をあびながら、ひっしになって進み、やっとのこ
とで地面におりました。地面におりると、今度はごつごつした岩や石を、の
りこえなければなりません。そうかと思うと化学ひりょうのかたまりにふれ
て、体がひりひりするのをがまんしなければなりませんでした。
そうして、やっとの思いでとなりの、工む店の花畑にうつって行ったので
した。
工む店の花畑には、垣根の近くにムクゲの木がはえており、その木の下や、
畑のすみの方には、たくさんのドクダミの葉がしげっていました。ですから、
だれとはなしにこの花畑を『ドクダミ畑』と呼ぶようになっていました。
『ドクダミ畑』前の車庫には、その日もトラックや大きなきかいが出入り
し、車のはいきガスがもうもうとたちこめていました。ですから花畑のまわ
りの空気は黒ずんでいました。
「ここで休ませてもらっていいかい」
デロリンは、花畑のすみで寝ていたナメクジに聞きました。
「かってにすればいいじゃないの」
寝ていたナメクジは、めいわくそうに顔をしかめてそう言うと、また居眠り
を始めました。
「ぼく、デロリンと言うんだ。きみの名前は」
デロリンが聞くと、
「名前なんかないさ。居眠りばかりしているナメクジだから、ネムクジとで
も呼んでくれよ」
はんぶん目をつぶって言いました。
「わかったよ。それじゃネムクジ君、ここの花畑にはどんな花が咲いている
の」
デロリンは聞きました。
「ろくな花はないさ。だいいちここの工む店の社員は、花なんか好きじゃな
いのさ。だから、自然に生えたドクダミに占領されたのさ。近所の人が『ド
ダミ畑』って悪口を言うのもむりないよ。水だって、ほとんどかけてくれや
しない。時どきのら犬が来て、おしっこをかけて行くくらいだよ。そうそう、
犬といえば、この会社の社長がペットにしている犬のマルチーズだけど。あ
いつが昨日、十二色の色鉛筆をくわえて来て、そこいらにうめていったよ。
箱がこわされて色鉛筆がむき出しになって、ほらそこに半分埋められてるの
が見えるだろ。大事な道具は片づけておかないから犬に持っていかれたりす
るんだ。色鉛筆をなくした人は、今頃こまってるだろうな。まっ、オレには
関係ないことだけどさ」
ネムクジは、だるそうに言いました。
「この、ドクダミ畑には、ほかに友だちはいないの?」聞くと、
「たくさんいると思うけど、とくべつ話し合うこともないから、顔もよく知
らない。みんな勝手にいきているのさ。でも考えようによっては、いい所だ
よ」
「どうして?」
「だって、どんなに花を食いちらかしたって、だれも人間はもんくも言わな
いし、塩をふりかけるようなわんぱくもいないんだ。おたがいの生き方に哲
学者ぶった説教をするやつもいないし、好き勝手にくらせるからさ」
それを聞いてデロリンは、こんな決まりのないような所は、やがてめちゃ
めちゃになるな、と思いました。ひどいことを言って追われたけれど、『ナ
ルナル花だん』の方がりっぱな花だんになるかも知れない。そう思えてきま
した。
でも、今さら帰るわけにはいきません。もし、帰って行けば、今度はどん
なしうちにあうかわかりません。デロリンはひとまず、あれはてたドクダミ
畑でくらすことに決めました。
夜になりました。耳をすますと、となりの『ナルナル花だん』からは、え
んかいのざわめきが聞こえてきました。
にじ色に光るカタツムリを中心にして、たくさんのカタツムリが、あじさ
いの葉の上で、あじさいのミツでつくったお酒を飲み、カタツムリ王国の国
歌をうたっていました。歌が終わると、にじ色カタツムリは大声で演説を始
めました。
「私のように美しいカタツムリは、世界広しといえども、私しかいない。
ただ、私だけがえらくても、世の中はおもしろくない。そこで、私のつぎに
えらいカタツムリを決めることにする」
あたりはざわざわし始めました。
「いいかみなのもの。わがカタツムリ王国では、背中の貝が、左まきのカタ
ツムリを、私のつぎにえらいカタツムリということにする。理由は、左まき
が少ないからだ。ただ、それだけだ。よいか、これから右まきの者達は、左
まきのカタツムリを見たら、道をあけておじぎをしなくてはいけない」
それを聞いた、体の大きなオオカタツムリが言いました。
「それはおかしい。オレは右まきだが、オレほど力の強いカタツムリはいな
い。だから、貝が左まきというだけで、えらいと決めるのはまちがっている
と思う」大声を出して言いました。
それを聞いた、左まきで、まだ若いカタツムリは、
「たった今決まったことだ。王様の決めたことにさからうのか。みんな、こ
のわからずやをつかまえて、となりのドクダミ畑にほうり出してしまえ」
そう、ごうれいをかけました。
オオカタツムリは力持でしたが、おおぜいのカタツムリにとりかこまれ、
みんなにいっせいにおさえられたから、身動き一つできません。とうとうデ
ロリンのいる、となりのドクダミ畑に、投げとばされてしまったのでした。
オオカタツムリが落ちた所は、今しもデロリンが、ねようとしていたドクダ
ミの葉の上でした。
「ちきしょうめ、ひでえことをしやがる」
オオカタツムリは、つぶやきました。
「どうしたの。きみもおいだされたの」
デロリンが聞きました。
「なんだ、お前デロリンじゃないか。ここは、おれ様がねどこにするから、
お前はむこうへ行け」
そう言っていばりました。
「あとから来たのはお前さんなんだから、お前さんが、どければいいだろう」
そう言ったのは、いねむりばかりしているネムクジでした。
「なんだと。おれ様にさからうのか。関係のない奴はあっちへ行ってろ」
オオカタツムリは、ネムクジにつめより、背中の大きな貝で、ネムクジの頭
をいやというほど打ちつけました。
「ひーたすけてー」
ネムクジはひめいをあげ、ドクダミ畑の外の、コンクリートの車庫の方へは
ね飛ばされてしまったのです。
ネムクジがころがったそこへ、ちょうどジャリをつんだトラックが入って
来ました。
「あっ、あぶない」
デロリンがさけびました。でもどうすることもできません。ネムクジの上に、
大きなタイヤが近づいて来ました。もう間に合いません。ネムクジの体の上
に、大きなタイヤがのしかかり、ネムクジはその下に消えていきました。
ネムクジがタイヤの下に見えなくなると、デロリンは、体中の皮がひっく
り返るほどおどろき、やがて悲しくなりました。
「ネムクジくん、ネムクジくん。 かわいそうなめにあってしまったねえ。
さぞやネムクジくん、残念だろう。好きな遊びもしなかったにちがいない。
せめて、あじさいの花を食べさせてあげたかった。ああネムクジくん、ネム
クジくん」
デロリンは、あのデロデロの声をふるわせながらつぶやきました。なみだ
声でつぶやきましたから、何を言っているのかなおさらわかりません。しか
もその上、夜のしっけの多い時間でもありましたから、デロリンの声は、お
寺から聞こえるお経のようにひびきました。
デロリンの声が、おぼうさんのお経に聞こえたのは、まわりの虫たちだけ
ではありませんでした。オオカタツムリは、自分がはね飛ばしたうしろめた
さもあり、
「きびの悪い声を出すな。まだ、夏でもないのに幽霊が出てくるじゃないか」
そう言っておこりました。
デロリンの声は、ごくらくにすんでいる、お釈迦様の耳にも聞こえたので
した。お釈迦様はしのお経が、いつも聞きなれたお寺の方向からではないの
で不思議に思い、あたりを見回しました。耳をすますと、それは畑からでし
たから不思議に思い、ドクダミ畑までおりてきて、やさしい声でいいました。
「今、お経をとなえたのは、だれだね」
でも、誰も目をぱちくりさせるばかりでした。自分がお経をとなえたつもり
はありませんから、デロリンもだまっていました。すると、その時です。
「わたしです、お釈迦様」
声を上げたのはオオカタツムリでした。
お釈迦様は、オオカタツムリが、うそを言っていることはすぐにわかりまし
た。第一声がぜんぜんちがったからです。でも、
「そうか。それではお前のことを、ごくらくのノートに書いておくよ」
と言ったのです。それを聞いたオオカタツムリは、
「なんですって?私にのぞみのものをくださるんですか」
わざと聞きまちがえたふりをして言いました。そして、さらにつづけて言い
ました。
「それでは、ぜひ私の背中の貝を左まきにしてください。そして、にじ色に
光らせてください」
そうたのんだのでした。お釈迦様は、悲しそうな顔をされました。それでも、
オオカタツムリは大声で続けました。
「明日の朝までに、この体をにじ色に変えてくれるんですか。 はい、はい。
だから今日はゆっくりねむれ。そうおっしゃったんですね。ははあ、ありが
とうございます。どうぞよろしくおねがいいたします。お釈迦様のお力の大
きさを、心からけいふくいたします」
オオカタツムリは、心にもないことを並べ立て、そのあとでニヤリと笑い
ました。オオカタツムリはさっそく、ナルナル花だんのすぐ近くまで行き、
朝になったらにじ色のしまもようと 左まきの貝を見せびらかしてやろう
と思ったのでした。
そのようすを見ていたデロリンは、
『お経じゃないけど、本当はぼくのことだったんじゃないのかなあ』そう思
いました。でも、それを言うと、オオカタツムリが、うそをついていること
をいいつけることになります。ですからデロリンはだまっていました。 そ
れよりもデロリンは、トラックの下じきになったネムクジ君が、どんな姿に
なったか、それが気になって仕方ありませんでした。何とか助かりますよう
に。そればかりを心の中で祈りました。
ごくらくに帰るとちゅうで、お釈迦様はデロリンをよこ目で見ました。
そして、しょんぼりしているデロリンに、笑顔を送りました。その笑顔を
、デロリンは気づきませんでした。
お釈迦様がいなくなると、車庫にとまっていたトラックは動き出しまし
た。ネムクジ君を押しつぶしていたタイヤが動きだしたのです。
やがて、タイヤのあとにはネムクジ君の変わり果てた姿が・・・・、
と思っていると、なんとネムクジ君は、むっくり起きだしたのです。
「無事だったんだねネムクジ君」
デロリンが声をかけました。
「そうみたい。トラックのタイヤの溝が太かったから、そのすき間にすっぽ
り入っちゃって、助かったみたいなんだ」
ネムクジ君はそう言いながら、花畑にもどってきたのでした。
夜がふけていきました。その夜は空もようがあやしく、星は一つも見えま
せん。トラックのとまっていた車庫の電気がけされると、あたりは真っ暗に
なりました。デロリンとネムクジは急に親しくなり、体をくっつけあってね
むりました
朝が近づいて来ました。オオカタツムリは待ちどうしくて、眠ってなどい
られません。まだか、まだか、朝はまだかと思っていると、どうにか晴れだ
した東の空から、朝日が顔を出してきました。見ると、朝日にてらされたオ
オカタツムリの体は七色に光っていたのです。そのまばゆさにうっとりして
いると、オオカタツムリの体がひっくりかえり、背中の貝が左まきに変身し
ていたのです。オオカタツムリはすっかり、有頂天です。
「ようし。オレ様はこれから、ドン・スネイルと名前をかえ、ナルナル花だ
んをのっ取ってスネイル王国を作り上げるぞ」
オオカタツムリは、さらに大声で、
「ドン・スネイル様のお通りだ」
そう叫びながら、ナルナル花だんに入って行きました。このことを知った、
にじ色カタツムリは、いそいでへいたいを集めました。そして、ドン・スメ
イルが入って来るのをじゃましようとしたのです。
「ドン・スネイル様こそ、世界にほこるカタツムリだ。にじ色カタツムリは、
左まきの貝も持っていない。みんな、このドン・スネイル様にしたがえ」
ドン・スメイルは待ちかまえるへいたいたちにどなりました。すると、
「そうだそうだ。ドン・スネイル様こそ、本当の王様だ。スネイル様の号令
にしたがおう」
そんな声がへいたいの間に聞こえてきました。そうかと思うと、
「なにを言う。それはうらぎりだ。うらぎり者はやっつけろ」
そんな声も聞こえました。へいたいたちは二つの意見のどちらにつこうか、
まよいました。
やがてにじ色カタツムリに味方するものと、ドン・スネイルに味方する者
とに別れ、あちこちで、こぜりあいが始まったのです。
そして、いつのまにかナルナル花だんのあじさいは、カタツムリたちの戦
場になってしまったのでした。戦争はなかなかやみませんでした。
この戦争のために、あれほど青々としげっていたあじさいは、ぼろぼろに
なってしまい、花だんの地面にはぎせいになったカタツムリが、てんてんと
落ちました。
やがて、七月になりつゆがあけ、あついあつい夏がやって来ました。ナル
ナル花だんは、今では雑草しかはえていません。ドクダミ畑と、なにも変わ
らなくなりました。それでもスネイルたちの戦争は終らないのでした。
そのようすを見ていた、デロリンはためいきをつきました。 気がつくとデ
ロリンのまわりには、デロリンの子供や友達がいっぱいふえ、ドクダミ畑は、
ナメクジだらけになっていました。
ある時、たまたま外に出てきた、工む店の女性事務員が、ドクダミ畑の近
くを歩いていると、畑の中に何かを見つけました。
「あら、私の色鉛筆がこんなところにあるじゃないの。やっぱり社長の犬が
ここにかくしたんだ」
そう言って、拾おうとしました。でも、伸ばした手を引っ込めました。
「わあ、気持ち悪い。この花だんナメクジだらけじゃないの。なんとかしな
けりゃ、しょうがないわね。社長さんに相談しなくちゃ」
女性事務員が、そう言って社長のところへ行きました。
「社長。あの花畑はナメクジだらけで、花なんか一つもないから、塩をまい
てナメクジを追い出しましょう。そのあとで、物おきをつくりましょうよ」
それを聞いた社長は、花畑を見に来て言いました。
「いくらナメクジでも、塩をまいてぜんめつさせるのは、気のどくじゃない
のか」
すると女性事務員は、
「なにを言ってるんです。カタツムリならともかく、ナメクジですよ、ナメ
クジ。早く塩をまかなけりゃだめです」
社長にくってかかりました。
このようすを見ていたナメクジのなかまが、デロリンに言いました。
「ここにいると、いつ、どんなめに会うかわからない。みんなで、となりの
花だんに引っこそうよ」
でもデロリンは、となりの花だんを追い出された思い出があります。引っこ
したくはありません。どうしたものか、まよっていると、
「デロリンの考えなんか聞くまでもない。みんなで、となりに引っこそう。
カタツムリたちがじゃまするようなら、戦争をすればいいだけだ」
すると、おとなしいナメクジは、
「戦争はぜったいにいけない。たとえ、われわれが、ここを追い出されても、
よその花だんにせめ込むなんて、まちがっている」
そう言って、戦争をとめるのでした。
「何を言っているんだ。そんなことを言っていたら、ナメクジ族はほろびる
んだぞ」
「人を殺すくらいなら、自分がほろびる方がいい」
「バカを言え。我々の可愛い子供たちまで死ぬんだぞ」
「向こうにだって可愛い子供が沢山いるにちがいないよ」
「それじゃお前は、カタツムリを生きのびれば、われわれナメクジはどうな
ってもいいのか。生きる努力をしないってことだな」
「そうじゃない。共に生きる道をさがすべきだと言ってるんだ」
「それができないから、戦うんじゃないか」
「できないって、決めつけるのはおかしいよ」
「それなら、あんたがカタツムリ王国に出かけていって、仲良く暮らそうっ
て、たのんでこれるのかい」
「ああ、いいよ。たのみに行って来るよ」
「やめろやめろ。デロリンのように、追い出されるのがおちさ。それに、な
んでたのまなけりゃいけないんだ。となりの花だんはもともと、我々の先祖
がすんでいたんだ。追い出したのは、カタツムリの方じゃないか」
「そうだそうだ。せんぞの土地を取りかえしてなぜ悪い」
みんなが、勝手に意見を言うので、ドクダミ畑は大荒れに荒れました。 意
見の合わない者同士が、つかみ合いのけんかになりました。
「みんなけんかはよせ。では、多数決で決めよう」
ひげの長い長老が言いました。
「それはだめだ」
もうひとりの長老が反対しました。
「なぜ多数決は、反対なんだね」
聞くと、
「神もほとけも『生きることが とうといことだ』と教えているじゃないか。
それなのに、多数決によっては、何もしないで死ぬのを待たなければならない」
「なるほど、それは理屈として分かる。しかし、それが民主主義というものな
らしかたないだろう」
「民主主義なんかくそくらえだ」
「それなら、カタツムリ王国のように、王様の命令で生かされたり死んだり
する方がいいのかね」
ひげの長い長老の言葉に、だれもが口をつぐんでしまいました。しばらくた
って、みんながつかれてきた時でした。
「やはり、とうひょうしかないな」
だれとはなしに言い始めました。
「よし、それではさっそく、とうひょうだ。戦争に賛成の者は、花畑の西が
わに集まれ、反対の者は東がわだ。
夕方になったら、数をかぞえて、一ぴきでも多かった方の意見にしたがお
うじゃないか」
「そうしよう、そうしよう」
「それしかない」
「しかたがない。そうしよう」
「そうと決まったら、早くやれ」
ナメクジたちは、くちぐちにさわぎたてました。とうとう、とうひょうが始
まりました。
「あら、おとなりさんは、西がわなの?うちは東がわよ」
「おれはどっちでもいいから、のんびりくらしたい。とうひょうなんかしな
いよ」
「そりゃいけないよ。自分の国のことは、自分の考えをはんえいさせなくち
ゃ」
そんな言い合いが、花だんのあちこちから聞こえてきました。
「戦争になってもうちの子は兵隊にしませんからね」
「そんなばかなことがあるもんか。そんなことをしたら軍法会議にかけてや
る」
とうひょう所のあちこちで、また、けんかが始まりました。
デロリンは、その光景がたまらなくいやでした。
夕方になり、とうひょうの数をかぞえる時が近づいてきました。
「では、ただ今から、戦争賛成と反対の数をかぞえます」
せんきょかんり委員の声がした時でした。
ズゴゴゴー。
ドト ドト
ドドー
と、ものすごい音がしたかと思うと、となりのナルナル花だんに、砂がふっ
てきたのです。
「ここに、ナル子の好きなベルルの家をつくるんだよ」
そんな声が聞こえてきました。
ベルルというのは、ナル子ちゃんがかわいがっている子犬でした。
子犬をかうことにしたので、犬小屋のために花だんをうめたのでした。でも、
本当に花だんが好きだったら、ベルルの家は別の所を考えたかも知れません。
「ナル子、ナメクジがいる花だんはきらいなの。それに、カタツムリさんた
ちが、お花をみんななめて枯らしちゃったから。花だんはもういらないの。
お花だったら花屋さんに行けば、たくさん買えるもん」
ナル子ちゃんの声がしました。
「おい。それはちがうぞ。パパさん、ナルもまちがってるぞ。花は買うもの
じゃない。育てるものだ。育てることを忘れたら、花の本当の良さは、わか
らないんだ」
命からがら、砂の雨から逃げのびたドン・スネイルが、すぐ近くのムクゲ
の木から叫びました。
でも、もうナルにもパパさんにも、カタツムリたちの声は聞こえません。
「カタツムリもかわいいけど、花だんをこわすカタツムリじゃこまるなあ。
それにベルルが大きくなったら、家の中ではかえないからな」
パパさんが言いました。
花だんの砂を、となりの工む店の若いお兄さんが、大きなスコップで、平ら
にしていきました。
「うちの車庫のわきの花畑も、もうだめです。やっぱり、こまめにめんどう
をみないと、草も虫も勝手なことをして、みんなだめになっちゃいますよね
え」
汗をふきながら、お兄さんが言いました。カタツムリの王国はまたたく間に
きえ、平らな砂場になりました。
「あす、コンクリートをうちますので」
工む店のお兄さんはそう言ってから、ドクダミ畑を見つめました。
「うちの花畑も、うめなきゃあならないだろうな。社長に言わなくちゃ」
ひとりごとのように言いながら、帰っていきました。
このようすを見ていたナメクジたちはこまってしまいました。攻め落とし
て横取りしようと思っていたカタツムリ王国が、砂の下じきになってしまっ
たのです。もう、とうひょうなど、何の意味もなくなってしまいました。
すると、ナメクジたちの間には、またもやけんかがおこりました。
「ぐずぐずしていたから、こうなったんだ」
「なんだと、てきぱきやっても、どのみちとなりの花だんはなくなったんだ」
「こんなとうひょうなどしないで、早く別の所に引っこしていれば、よかっ
たのだ」
「そうだそうだ。とうひょうをしようと言ったやつはだれだ」
「だから、私の言うことを聞いて、初めから戦争なんて考えなければよかっ
たんだ」
みんなくちぐちに言いあいました。そんな勝手な言いあいを聞いていたデロ
リンは、この花だんにいるのがいやになりました。その時、一匹のナメクジ
がデロリンに言いました。
「きみは、これからどうするの」
するとデロリンは少し考えてから言いました。
「ぼくは、あの、ビルのおくじょうまで行ってみたい」
それを聞いたなかまは言いました。
「きみは、頭がすこしおかしいよ。そんなことは、今この状態の中では何の
解決にもならないじゃないか。おくじょうに行ったって、花畑があるわけじ
ゃなし。だい一、こんな高いビルの四かいまで、ナメクジがのぼって行ける
わけが、ないじゃないか」
そう言われて、デロリンはだまってしまいました。いつまで、この花畑でぐ
ずぐずしているわけにはいきません。社長よりもえばったあの、女性事務員
がやって来て、いつ塩をまくかわからないのです。
ナメクジたちは、思い思いのすみかをさがしに、ドクダミ畑を出て行くこ
とになりました。どこへ行けば花や、おいしい草のはえた所があるのでしょ
うか。生きて、新しい草原にたどりつけるほしょうはありません。
「みんな、ぐずぐずするな。間もなくおそろしい塩がふってくるぞ」
だれかが叫びました。
「さようなら、生きていたら、また会おうね」
「今まで、いじわる言ってごめんね」
「気にしてないよ。きみはいい仲間だったよ」
いざ、別れ別れになる時になって、みんな仲よくはげましあいました。
「なぜ、もっと早く、やさしい言葉をかけてやれなかったのだろう」
「そうだね。こんな別れの時になってやさしくしても、悲しくなるばかりだね」
「さようなら」
「さよなら、クーちゃん」
「さよなら、イッちゃん」
「元気でねみんな」
「きみも、たっしゃでね」
別れをおしむ声がしばらく続きました。
気がついてみると、ドクダミ畑に残ったのはデロリンだけでした。デロリ
ンはどこへも行きたくありませんでした。どこへ行っても、仲間どうしけん
かばかりするのがたえられなかったのです。
「ああ、なぜ、別れなければならい時だけしか、仲間どうし、やさしくでき
ないんだろう。 めぐり会っても、しばらくすると、きっとまたけんかにな
るんだ」
あたりは、枯れた草やくさった花がちらばっています。デロリンはこの花畑
にもいたくありませんでした。
「ぼくはこれからどこへ行こうか」
考えていると、ふと、お釈迦様のことを思い出しました。
「 そうだ。お釈迦様に会って、けんかがなくなり、おだやかなナメクジの世
界を作るにはどうしたらよいかお聞きしてみようか。そして、人間にきらわ
れないようにするにはどうすればよいか、教えていただくことはできないだ
ろうか」
そう思いたったのでした。でも、どこへ行けばお釈迦様に会えるのかわかり
ません。
「この前は、ぼくが、ネムクジ君のことを悲しんでいたら、この花畑までお
りて来てくれた。こんどはなにを悲しめばいいだろうか」
そんなことを考えました。でも、そんなに長く考えることはありませんでし
た。悲しいことはたくさんあったからです。カタツムリ王国のことや、ナメ
クジの仲間たちが、ちりぢりばらばらになったこと。そのほかたくさんあり
ました。デロリンはそれらを、ひとつずつ、空に向かって、うったえました。
「ナルナル花だんでは、こまった戦争がありました。子供や年よりのかたつ
むりがたくさん死にました。人間が砂をかけて、花だんをうめてしまいまし
た。ドクダミ畑では、塩をかけられそうです。ナメクジの仲間は、生まれ故
郷を追われました。みんな生きていける場所が見つかりますように」
そんなことを、なんどもなんどもくりかえしとなえました。でも、こんどは
お釈迦様は、天からおりて来てはくれませんでした。
デロリンはさびしく空をながめました。空には雲が流れていました。雲の
形はカタツムリになったり、ナメクジになったりしては、消えていきました。
「そうだ、天高くのぼっていけば、お釈迦様に会えるかもしれない」
デロリンはそう思いました。
「 よし、どこまで行けるかわからないけれど、できるだけ、高くのぼってみ
よう」
そう思いたったデロリンは高いものをさがして、ドクダミ畑を出る決心をし
たのでした。
デロリンが旅立って二日ほどたった、ある日の午後でした。あの女性事務
員が、茶色いふくろを持ち、ドクダミ畑にやって来ました。花畑の前に来る
とふくろを開き、塩を手でつかむと、おしげもなくドサリ、ドサリとぶちま
けました。
「 あら、ナメクジが、見あたらないわねえ」
そう言いながら、事務員はさらに塩をおおづかみにすると、さもにくらしそ
うな目つきで塩をまいたのでした。
花畑はたちまち、雪がふったように真っ白になりました。
「まっ、これくらいでいいか」
事務員はふくろをかかえなおすと、少しがにまたで、ビルの中の事務室に向
かって歩き出しました。
女性事務員がビルのドアを開けようとした時でした。ビルの白いかべに、
細い一筋の光ったものが、どこまでも高くのびているのに気づきました。
「あら、これなんだろう」
そう言って、少しビルからはなれ、その筋を見あげました。光る筋は、地面
から始まりビルのおくじょうまで、くねくねと曲がりながら、高く高く続い
ていたのです。
「あら、ナメクジでもはったあとかしら。でもむりね。ナメクジやカタツム
リには、このビルはのぼれはしないわ。あっそうだ、きっと雨水がたれたん
だわ」
事務員はそんなひとりごとを言いながら、ビルの中に入って行きました。
この光る筋は何なのでしょう。すじの正体を、知っている者はいないのでし
ょうか。実はたった一人おりました。それは、ドン・スネイルでした。
カタツムリ王国が砂をかぶせられた日、何とか逃げのびた何匹かのカタツム
リの中にいた、スネイルでした。スネイルは逃げのびたものの、毎日するこ
ともなく、ムクゲの木の葉かげから、外をながめていたのです。
そんなある日、ビルのはじを必死にのぼる一匹のナメクジを見つけたので
した。
「何をしてるんだ。そんなところに登っても、何にもなりはしないぞ」
そう声をかけたのでした。
「そこにいるのはドン・スネイルさんだね。ぼくだよ、ぼく。わかるかい」
返事をしたのはデロリンでした。
「なんだ、お前はデロリンじゃないか。なんでまた、そんなバカなことを始
めたんだ。人間への挑戦なのか」
「バカなことに見えるかも知れないけれど、人間への挑戦なんか少しも考え
ていないよ。実はね、きみがお釈迦様にお願いをしたように、ボクもお釈迦
様に会って、教えていただきたいことがあるんだ」
「何を聞こうってんだい」
「君を、にじ色の左まきカタツムリに変身させたお釈迦様だから、きっと、
何でも御存知だと思うんだ」
「だから、何を聞きたいのさ」
「そうだね、ナメクジも、カタツムリも、みんな仲良くくらせる方法かな」
それを聞いてドン・スネイルはだまってしまいました。
「じゃ、ボクは行くよ。君もたっしゃでね」
デロリンが言うと、
「ちょっと待ってくれ。本当はオレ様がにじ色になったのは、お釈迦様のお
かげじゃないんだ。あそこの花だんに色鉛筆が落ちているのを見つけて、夜
のうちにこっそり、自分でそめたんだ。左まきの貝だって自分で描いたんだ」
「そうだったの。それじゃ、カタツムリの仲間をだましたんだね」
「そうなんだ、そのためにカタツムリ王国はめちゃめちゃになり、ルナちゃ
んを、花だんのきらいな子にしちまったんだ」
「それじゃ、君が変身してのり込まなかったら、花だんはうめられなかった
のかな」
「そう思うよ。オレはとんでもないことをしたと、後悔してるんだ」
ドン・スネイルはうなだれました。
「すんだことは、もう仕方ないじゃないか。でも、どうしても気になるんな
ら、ボクといっしょにこのビルを登って、お釈迦様のところまで行って、あ
やまろうよ」
デロリンがさそいました。
ドン・スネイルは首をふりました。
「オレみたいなうそつきとは、会ってもらえないさ」
「そんなことはないよ」
「どうして?」
「お釈迦様は、心を入れかえれば、昔うそつきだった者の方を、よけいにか
わいがってくれるらしいよ」
「本当かなあ」
ドン・スネイルは不思議そうに言いました。
「本当かどうかはわからないけど、ためしてみる価値はあるんじゃないか
な」
デロリンの言葉に、スネイルは少し考えてから、
「でもオレは、体中にぬった色鉛筆が今ごろになってとけだし、ぬるぬるす
べって一歩も歩けないんだ。そうじゃなくとも、そんなビル、カタツムリや
ナメクジに登れるはずないよ」
「そうかも知れない。でもぼくは、ぼく自身に挑戦してみたいんだ」
デロリンは高いかべの上を見つめて言いました。スネイルは何も言えなく
なり、首を左右にふりました。 それを見てデロリンは、
「そうかい。それじゃボクは行くね」
デロリンは、ゆっくりゆっくり登り出しました。四かいの上まで行くには、
並大抵のことではありません。なんどもなんども落ちそうになり、
「やっぱりナメクジには無理なのかなあ」
あきらめかけては登り、登ってはあきらめかけ、まる二日もの時間をかけて、
とうとう、下からは見えない高さにまで登っていったのでした。
そして、デロリンが登ったしるしとして、モノレールのような一本の光る
筋がのこったのでした。
はたしてデロリンはお釈迦様に会えたのでしょうか。それを知っている人
はおりません。
今でも、白いビルのかげに一本の筋が、ナメクジ「デロリン」の生きた証
のように、どこまでも、どこまでも天に向かって、のびているのでした。
