


亮太が職場を辞めたのこれで三度目だった。一流の大学を卒業したものの、ど
の会社も肌に合わず半年も続かないのだ。しかたなく近くのスーパーでアルバイ
トをしてみたが、大学まで出た俺の仕事ではないとうそぶき、やがて家に引きこ
もるようになった。両親も初めのうちは「焦ることはない」と理解を示そうとし
ていたが、一月も経つと「ハローワークに行け」などと小言を言うようになった。
そんな親の声を聞くのがいやで、庭の隅にある物置小屋に入り込み、使わなく
なった道具をいじっては時間をつぶす日々を送っていたのだった。
ある日亮太は物置の隅で埃をかぶっているアコーディオンを見つけた。かつて
亮太の叔父が学生時代に使っていたもので、亮太が中学生の頃弾き方を少し教わ
ったことがある。懐かしさが、亮太にアコーディオンを取り出させた。鍵盤につ
いていた汚れを拭き取ると、昔の楽しかったことどもが思い出されてきた。埃ま
みれの椅子に腰掛けアコーディオンを膝の上に置くと、いつの間にか高校時代に
流行っていた曲を弾いていた。
「高校時代は夢があったなあ。進路指導の先生からは『どこの大学でも受かるだ
ろう』なんて言われて、得意だったっけなあ」
そんな独り言を言ったあとで顔をしかめ、
「それが、なんで今はこのざまなんだ」そう思うと急に自分の過去が忌まわしく
なってきた。と同時にある噂が思い出された。
噂とは、高校時代亮太の後ろの席でいつも漫画を書いていた赤点だらけの誠二
のことだ。誠二は高校時代からつきあっていた隣のクラスの女性と結婚し、義父
の経営する土建屋を継いで今は小さいながらもビルのオーナーになっているとい
う話である。なぜあんな成績の悪かった奴の羽振りが良くなり、クラスのトップ
だった俺がプー太郎なんだ。これは俺の能力を生かせない社会が間違っているか
らだ。そんなことを考えながら、いつか亮太の指は『枯れススキ』の曲を弾いて
いた。 『オレは河原の枯れススキ 同じおまえも枯れススキ・・』
途中まで弾いて手が止まった。するとなぜか涙が止めどなく溢れてきた。
ふと 顔をあげると、物置の脇の垣根の向こうに人陰が見えた。
「なんだ、亮太じゃねえか」その陰が亮太に声をかけてきた。見るとそれは、た
った今思い出していた誠二だった。
「仕事で通りかかったらいい音が聞こえたんで。おまえが弾いていたんか」誠二
は親しげに話しかけてきた。数分間昔の仲間や思い出話をした後で亮太は言った。
「誠二はいいところに婿に入って、今は社長なんだって?ビルも持ってるってじ
ゃないか」 うらやましげに言うと、
「傍目にはいいけど、言ってみりゃ女房の親爺の奴隷みたいなもんさ。親爺の言
うことには逆らえねえし、従業員にも軽く見られ、女房は金遣いが荒い。文句を
言えば親爺は娘をかばうし。俺、頭が悪かったから何とか我慢できるけど、おま
えだったら一日ももたねえだろうな。俺の人生はおまえが弾いてた枯れススキさ。
この歌は究極の我慢と諦めの歌だからな。だから聞いてたんだ」
そう言ってほほを痙攣させた。そして付け加えるように、
「おまえは頭が良かったから、俺と同じだけ我慢したら大会社の重役にだってす
ぐになれるだろうな」
その時誠二の携帯電話が鳴った。
「電話だ。また親爺だよ。こうやって監視されてるんだ。それじゃ」
そう言って近くに止めてあった車に乗り込んだ。亮太はまた枯れススキを弾き
ながら誠二の言った『我慢』という言葉を思い出していた。
そう言えば自分はこれまで、どんな我慢をしてきただろうか。有名大学を出た
ことを鼻にかけ、三流大学出の先輩のアドバイスに腹を立てて居づらくなり、三
度も会社を辞めた。
そうか、俺には新しい世界に入る時の我慢ができていなかったのかも知れない。
そう思うとアコーディオンを元の場所に戻した。
そしてその日の午後、
「俺、今からハローワークに行ってくる」
母親にそう言うと亮太は大きく頷いて家を出た。