西暦二千五百年X月X日、第百十回火星探査プロジェクトの第二十チームが
火星に到着した一月後、柏木隊長以下十五名の第一チームの隊員は地球に向け
て帰還する準備に入った。
柏木チームの滞在期間は地球時間で二年半に及んだ。火星の公転周期は地球の
それのおよそ二倍だ。チームの交替はどうしても二年ほど先になる。
柏木は食堂ブースに新旧の隊員を集め、二年間の苦労を労いながら新しいチー
ムに期待を託す挨拶をした。
解散後柏木は斉田副隊長に言った。
「明日の帰還用ロケットに小型探査機を一台搭載してくれ」
「地球直行の予定で、探査機は不要のはずですが」
「途中で切り放すから総重量に問題はないから、頼んだよ」
帰還を待ち焦がれる地球側からは、家族の映像が送られてきていた。火星と地球
は最接近した時でさえ七千五百三十万キロほど離れており、光も五秒程かかって
到達する。会話は往復十秒ほどのタイムラグがある。
「 お父さん元気ですか。マアサです」
河野操縦士の三歳になる娘だ。河野はマアサの名を呼んだ。返事は十秒後に届
いた。
「お父さん達は明日こちらを飛び立ちます。地球に着くのは四ヶ月程先です」
隊員の家族が次々に画面に現れては消えた。だが柏木の家族は出てこなかった。
柏木は一枚の写真を取り出した。映っているのは一人息子カイの七歳の時の姿
だ。
カイは小児癌を患っていた。ほとんどの病気は高度に進んだ医学で克服できて
はいたが、小児癌は進行が早く、手の施しようがなかった。医学に絶望した妻は新
興宗教にすがるようになっていた。
「カイの病気が直らないのは、あなたの不信心のせいよ」
そんな事を言いはじめてもいた。妻も元宇宙センターで働く科学者だったが、子
供の病気を神仏に頼って治すことを考えるようになっていたのだ。
「人間が作り出した神仏に、気休め以上の力などあるわけないだろ。科学者のお
前がそんなこと分からないはずがないだろ」
そう言って柏木は何度も妻を説得したが、
「科学なんて神の力から見れば稚拙そのものよ。神は銀河系を動かす力があるの
に、人間の力はせいぜい火星に行くだけでしょ」
科学がどれほど発達しても、生命の基本原理は解明されていない。妻は恐らく
そんな事は分かっていたに違いはないが、重病の我が子を目前にした時、愚かな
母親になってしまうのだった。
「どんなに神仏に祈っても、変異した細胞の増殖は抑えられないんだ。増殖を抑
えれば生命維持も止まってしまうんだ」
「そんな事分かっているわ。それならせめて苦しまずに西方浄土へ行けるように祈
るのよ」
三千年前に釈迦が考えた西方浄土のたとえ話を持ち出すのだった。
カイは十歳の誕生日を迎える事なく亡くなった。
「私、カイが行った西方浄土に行って一緒に暮らします」
カイの死後間もなく妻は自らの命を絶ったのだった。
それから数年後、心の傷を紛らそうと柏木は、第十回火星探査の第一陣に応募し
たのだ。
三年の準備期間を経て、半年近い月日を掛け、火星に到着したのは二年半程前
のことだった。
第一陣の仕事は周辺の地形調査と地質の調査から始まり、次々に無人ロケット
で運ばれてくる機材で新しい居住ドームを作る事がメインであった。
忙しい日々が続き、息子カイのことも妻のことも、火星では一時忘れることが
出来た。二年半に及ぶ長い滞在の任務が終わり、いよいよ地球に帰るその日に
なった。
火星の黄色い大地と黄色い空が広がるその日、柏木達を載せたロケットは空に
突き進んで行った。
窓からは火星が小さくなって行くのが見えた。
無重力を感じ始めると、銘々トレーニングを始めたりした。
その時だった。ロケットに軽い振動が伝わった。斉田副隊長が窓の外を指差して
言った。
「探査機だ。離れて行くぞ。誰が乗っているんだ」
「こちら柏木。妻子の居る西方浄土を探しに離脱します。長い間有り難う」
五ヶ月後地球に降り立つ隊員の中に柏木はいなかった。
柏木にとって西方浄土とは何であったのだろうか。


コロナ禍の中で、延期されていたオリンピックが始まった。アスリートたちに
してみれば、待ちかねたことだろう。それにしてもこの度のオリンピックほど綾
のついた大会はないだろう。綾の手始めがコロナ禍ではあるが、これは仕方のない
ことだ。一年延期したがコロナを封じ込めての大会ではない。無観客の大会では、
盛り上がりも半減することだろう。国の内外から来るであろう観客が見込めず、
店舗を広げた商店では大いに当てが外れたことだろう。これも致し方ないことだ。
そして綾の第二は、大会準備に当たった人々の素行や過去の心ない言動による海
外からの批判によって、大会牽引役の人達が辞任したり、解任されたりしたこと
だ。そう言えば大会誘致後間もなく発覚したエンブレの盗作騒ぎもあった。なぜ
このような失態が続いたのだろうか。オリンピックを単なる経済発展の起爆剤く
らいにしか思っていなかったからではないだろうか。私にはどうもそんなふうに
思えてならない。もともと人間は他人を無視し、亡き者にしてでも自分だけが優
位に立とうとする生物なのだ。だが、それではいけないからと、過去の賢者や宗
教家が善行を奨励し、本来の邪悪な感情を抑えようとしてきたのだ。その上にで
きあがっているのがオリンピックなのだ。それを考えたとき、ホロコーストや人
種差別やいじめと言った善行に逆行するような行動や言葉を発した人間は排除す
るべきなのだ。人間はもともと善人などいないのだ。だからこそ、善行を奨励し
なければならないと私は言いたい。(2021,7,24)

